fstoeのブログ -12ページ目

fstoeのブログ

ブログの説明を入力します。

死んだ後に天国にいったり地獄に行ったりするということがあるかもしれない。世間一般でもそういったことがまことしやかに信じられている。

この世における「奇跡」(宝くじで1億円を当てるようなもの?)を体験して、この世を超える何かしらの絶大なパワーを感じる人もいるかもしれない。占いというものも、(当たるかどうかは別にして)そういったこの世を超える絶大なパワーを基にその人の将来を予想している。賽銭箱にお金を入れて色々な願い事をするのは、それはあくまでもこの世に生きている自己自身に対する、この世(或いはあの世?)に対する願いである。

信仰を持つか否かで「死後に神の国に入れるか否かが決まる」という宗教もある。


さて、いずれにしてもこれらは「自己」の延長線上でしかない。天国に行く自己は、この世で現に存在している自分自身である。信仰をもって神の国に入るのも、この世で生きている自己自身である。純粋な思いやりや純粋な愛によって他者に信仰を説くことはあっても、それを実践しているのは、実存哲学的な意味での「自己」である。奇跡を切望して、この世を超える何か或る者に祈るのも自己自身である。


「死」の本質はこの世との別れである。それは死後に天国に行こうが行くまいが、とにかく「別れ」が本質である。当たり前と思っている日常との別れである。極論を俗語的に言えば、とても好きだった人に「フラれる」感覚であろう。ずっと溜めてきた財産が、ハイパーインフレで紙切れ同然になる感覚であろう。



「我欲を捨てる」ことがとても難しいことのようにこの世では言われているが、実はそんなに難しいことではない。「いつかは死ぬ」ということを悟ることである。いや、死後に天国や地獄にいくこともあるかもしれないので、厳密にはそうでははく「いつかは必ずこの世との別れがくる」という事を悟ることである。冷静にそのことを悟ると、気分はすがすがしくなり、自己に直接対峙している他者に優しくなる。それは自己と他己を区別する断絶の必要がなくなるという境地に至るからである。