喜びの涙を浮かべるでもなく、嬉しくてその場をピョンピョン跳びはねるでもない。そして大勢の患者がいる場所だから踊り出さなかったのでもないということは、ミニョの顔を見れば一目瞭然だった。
表情を色で表すとしたら今のミニョは暖色系でも寒色系でもなくグレーだろう。
この病院で目覚めてから、テギョンは思うように動かない自分の身体に対するいら立ちをミニョにぶつけたこともあった。しかしミニョはそれをやんわりと受け止め、嫌な顔ひとつせずリハビリにも毎日つきあってくれた。早く退院できるといいですねといつも言っていたのはミニョだった。だから退院の話を聞いてミニョが喜ばないはずはないと思っていたのに・・・・・・
沈んだ表情を見せるという思いもよらない反応に、テギョンはミニョの顔をのぞきこんだ。
「嬉しくないのか?もしかして、二人きりの時間が減るから寂しいのか?」
「あ・・・いいえ、あの、その・・・・・・う、嬉しいです!退院おめでとうございます!」
とってつけたような祝いの言葉には感情がこもっておらず、空々しく聞こえる。どうも様子がおかしなミニョにテギョンが訝しげな顔を向けていると、不意に現れた看護師がミニョに後ろから声をかけた。
「よかったわ見つかって。はい、これ診察室に忘れてたわよ」
そう言って笑顔でミニョに手渡したのは薄手のカーディガン。桜の花のように淡いピンクのそれはミニョのお気に入りでテギョンもよく知っているものだった。
「診察室って・・・どこか悪いのか?」
昨日帰る時は特に変わった様子はなかった。さっき歩いて近づいてきた時もどこかケガをしているようには見えなかった。
テギョンの問いにすぐには答えられないようで、悩んでいるのかあいまいな笑顔を見せたミニョは口ごもりながら顔を俯けた。
「部屋で話します」
外来棟から入院棟への移動中、松葉杖で歩くテギョンを気遣う様子も普段通りで何も変わらない。ただ、部屋で話すと言ったからか、廊下ではそれらしいことはひと言もしゃべらなかった。
病室に戻ってからも沈黙は続き、しばらくは今日の天気のようにどんよりとした空気に包まれ、はっきりとしない時間が流れた。やがて、あの、その、と控えめながらも一応説明をしようとする姿勢は見せるが、よほど話しづらい内容なのかミニョの話はまったく進んでいかない。というより始まりもしない。
“食べ過ぎてお腹をこわしました”とか“昨夜ちょっと呑みすぎて二日酔いがひどくて・・・”とか、はじめは笑って済ませられる内容かと思っていたテギョンも、徐々にその眉間にはしわが深く刻まれていった。
テギョンの顔を真っ直ぐに見ることができないのか、逃げるように窺うようにミニョの視線はうろうろと辺りをさまよう。そして何度目かの意味を成さない言葉を口にした後、意を決したように大きく息を吸うと、視線はテギョンから外したままポツリポツリと話し始めた。
ミニョの話は事故直後まで遡った。
飛行機が墜落したと聞いた時の衝撃。
行方不明だと判った時の動揺。
目の前が真っ暗になり、平衡感覚も時間の流れもなくなった瞬間。
みんなに心配をかけたくないと気丈に振る舞っていたが、心の中は怖くて不安に押しつぶされそうで震えていた。
ご飯を食べても吐いてしまい、夜もなかなか眠れない。寝てもすぐに目が覚め浅い眠りの毎日。テジトッキとなって現れたテギョンとの再会の後も、身体の芯にいつも大きな重たい石を抱えているような気分だった。
そんな感じだったからか、その日その日を過ごすことで精一杯で自分の身体のことを気にかけている余裕はなかった。
そしてこの場所でのテギョンとの再会。
心の底から安堵して、やっと苦痛だった朝が楽しみなものへと変わったのに、ふと気づけば何だか体調が優れない。思い返してみると、ずいぶん前からそんな状態が続いていた気がする。ひどく身体がだるかったり、気分が悪かったり。余計な心配をかけたくないとテギョンには言わなかったが、病院へ来るのが遅くなる原因の一つは体調不良だった。
「オッパが事故に遭ったって聞いてから精神的にすごく不安定で、それが体調にあらわれてたのかなって思ってたんです。でもこうやってオッパと会うようになってからもよくならなくて。何かへんだなって思ってて、どうしてだろうって考えてたら昨日の帰りにあることに気づいたんです。ん?この場合あることじゃなくて、ないことなのかな。で、まさかとは思ったんですけど、もしかしたらとも思って・・・」
黙って聞いていたテギョンは何だかよく判らなくなってきたミニョの話に首を傾げる。
「結局何が言いたいんだ?」
「あの、だから、つまり、その、えーっと・・・」
ミニョはゆらゆらと足もとにあった視線を移動させ、テギョンの顔を見るとサッと逃げるように床を見た。
「ごめんなさい、私・・・・・・・・・・・・妊娠、しました・・・」