「ごめんなさい、汚しちゃった」
ひとしきり泣いたミニョは呼吸を整え、すんと鼻をすすると真っ赤になった目とテジトッキをこすった。
ミニョが泣いている間テギョンはずっと黙っていた。ちゃんとした身体があれば、ミニョの頭を胸に押しつけ優しく背中をなでてやるのにと思いながら、黙ったまま全身でミニョの涙を浴び続けていた。その結果、結構な量の涙とそれよりは少し少ない鼻水をその身体で受け止めたが、文句は言わなかった。
「でも本当によかったです、生きてて・・・生きてるって判って。またオッパに会えるんですね」
一度は落ち着いたミニョだったが自分の発した言葉に感情が大きく揺さぶられたのか、再び頬を流れ落ちていく涙を何度も拭った。
「どうしてそんなにすぐに信じられるんだ?こんなありえないようなこと。死んだからここにいると思ってたのに・・・俺だってまだ混乱してるのに・・・」
「嬉しいことだからです。難しいことは考えません。それにありえないようなことには少し慣れました」
テジトッキの中にいることも、シヌの中に入れることも。
「確かにそうだな」
理由を考えずにはいられないテギョンだったが、ミニョの言うことにも一理あるとテジトッキの中で頷く。
「きっと事故にあった時、一瞬抜け出た魂が迷子になってここに来ちゃったんです。オッパは方向音痴ですから」
以前、街中で迷子になったことがあった。「俺が連れてってやる」というテギョンに従いついて行ったが、同じところを何度もぐるぐる歩き回り、ようやく事務所にたどり着いたのは夕方。歩き疲れ、ホッと息をついた時に見た“どうだ、ちゃんと着いただろ”と言わんばかりにニッコリと笑ったテギョンの顔は、今でも鮮明に脳裏に焼きついている。
「俺は方向音痴じゃない、もしそうならここにだってこれないだろ。ミニョに会いたくてここに来たんだって、そう思わないか?なんたって俺はミニョと違って器用だからな」
ここにいるのがテジトッキではなく本当のテギョンなら、きっとその顔には得意げにニンマリとした笑みが浮かんでいただろう。
あの時のように。
無表情のはずのテジトッキも笑っているように見えると、ミニョは目尻に残った涙を拭い、満面の笑みを浮かべた。
どうしたら元の身体に戻れるのか・・・
ミナムから自分は生きていると聞いた時からテギョンはずっと考えていた。
しかし気がついた時にはテジトッキの中にいたテギョンにはその方法は皆目見当がつかない。それでも何かヒントになるようなことはないかと考えていると、そういえば・・・と、あることを思い出した。それは自分の中の奥深くに意識を集中した時、まるで夜空に輝く星のように小さな白い光があったことだった。夜空と違うのはその光が一つしかないということ。
シヌに入る時の光とは色も大きさもまったく違う光。
今まで気にもとめなかった・・・というより、わざと気にしないようにしていたのは何となくその光が寒々しく見え怖かったから。何だかその光に近づくと、吸いこまれて二度と戻ってこられないような気がしたから。
今ある意識も消え、完全にこの世から消滅しそうな気がして。
しかしもしもそれが自分の身体への入り口だとしたら・・・・・・
一度そう思うとそれ以外にはないような気がした。
ちゃんと身体に戻れるなんて確証はない。そして戻れたとしても必ず目覚めるという保証も。
それでもこのままでいるという選択肢はテギョンにはなかった。
「ミニョ、俺は元の身体に戻る。だから明日の朝、俺はここにはいない。でも必ずファン・テギョンとして帰ってくるから、待っててくれ」
戻れるかどうか判らない、とは言えなかった。そんなことを言えばミニョが不安な気持ちになるだろうし、気弱な姿は見せたくなかったから。
「・・・はい、私待ってます、オッパが帰ってくるのを。ですからきれいな看護師さんがいても浮気しちゃダメですよ」
「おまえこそ浮気するなよ。他の男はもちろん、シヌとジェルミにも優しくしなくていいからな。会話は必要最低限にしとけ。なるべく顔もあわせるな。それから・・・」
いろいろ注意事項を伝えるテギョンに、オッパはやきもち焼きですねとミニョはくすくす笑ったが、こぼれ落ちそうになった涙を見られないようにテジトッキを抱きしめると、震える唇を静かに噛んだ。