「父さんと、か・・・・・・あの人が?」
長年蓄積されたわだかまりはそう簡単には解けない。呼びたくても口には出せないのか思わず出そうになった言葉をわざとのみこんだのか、母さんという単語を喉の奥に押しこめたままテギョンは呟いた。
「あんな風にこっそり会ってわざわざウソつくとは思えないんだよね、そんな必要ないし。どうして秘密にしてるのか判んないけど、テギョンヒョンが生きてるのは間違いないと思う」
ミナムは偶然遭遇したテギョンの両親の会話を思い出し、確信したように一人で頷いていた。
「じゃあここにいる俺は何なんだ?それにさっき本当に死ぬかもしれないって言ったよな」
テギョンは何が何だか判らないといった顔で軽く頭を振った。
「ここからは俺の想像なんだけど・・・死んで魂だけになったんじゃなくて、生きてる身体から魂が抜け出ちゃったんじゃないかな。事故に遭って、死ぬかもって思った瞬間に、死にたくないって強く思ったとか」
目の前の無慈悲な惨状。
口の中に広がる鉄の味。
痛いという感覚すらおぼろげな状態で死を直感した時、頭の中に浮かんだのはミニョのことだった。
「それと、ヒョンの意識が戻らないのは現状に満足しちゃってるからじゃない。ヒョンは自分は死んだと思ってたんだろ。死んで存在が無になるよりは、身体はなくてもミニョのそばにいられるって。でもそれって危ないと思うんだよね。死にそうだった人が“生きたい”って強く思ったら、死の淵から戻ってきたって話あるだろ。逆に、生きてるのに自分は死んだって思ってたら、身体の方が本当に死んじゃうんじゃないかって・・・」
ミナムの言っていることを理解したテギョンの顔は青ざめていて、コクンと唾を飲みこむと一気に距離を詰め、そのままの勢いで締め上げるようにミナムの胸ぐらをつかんだ。
「どうしたら戻れる、俺の身体に!」
「え?う~ん、そうだなぁ・・・・・・ミニョにフラれてみる?「大っ嫌い!近づかないで!顔も見たくない!」とか言われればショックで戻れるかもよ。あと、シヌヒョンとイチャイチャしてるとこ見せられるとか。あーでもショック過ぎて本当に死んじゃうかもしれないね」
ハハハ、と笑うミナムのシャツを更に強くつかむとギロリと睨みつけた。
「俺は本気で戻りたいと思ってるんだ」
「んなこと言われても戻る方法なんて俺に判るわけないだろ。さっきのだってただの憶測だし。はっきりしてるのはヒョンの身体は昏睡状態で病院にいるけど、中身はここにいるってことだけ」
服をつかまれながら首をすくめて見せるミナムにテギョンは苦虫を噛みつぶしたように口元を歪めた。
「あれ?もしかして冷たいヤツだとか思ってる?仕方ないだろ、経験者じゃないし、それに俺、ヒョンのことリーダーとしては信頼してるし尊敬もしてるけど、妹の恋人としてはコノヤローって思ってるからね」
ミナムはテギョンの手を服から引きはがすと、大切な妹についた悪い虫でも見るような目で見上げた。そして自分の首を指さした。
「先週だったかな、ミニョのここにキスマーク見つけた」
ついさっきまでのからかうように明るかった声のトーンが一変し、暗く冷たいものになった。
“ギクリ”という擬音がピッタリと当てはまりそうな顔をしたテギョンがおどおどと目を泳がせる。
それはどう見ても後ろめたいことをしたと白状しているようなもので、ミナムの腹の底に沈んでいた怒りの感情がふつふつとよみがえってきた。
「シヌヒョンの身体で何やってんだよ、ミニョに何してくれたわけ?まさか!」
ずっと気になっていたこと。いくら中身がテギョンでも持ち主はシヌ。ミニョがそう簡単に身体を許したとは思えない。どんな風に言葉巧みに丸めこんだかしらないが、ミニョがよくても俺は絶対に許さないとミナムはテギョンを睨みつけ拳を強く握りしめた。
「違う!してない!さすがにそんなことは・・・するわけないだろ!ただあの時はちょっと・・・」
語尾が頼りなげに消えていく。
ベッドの中で包みこんだ身体は以前と同じで安らぎと同時に胸の高鳴りを連れてくる。触れる肌の温もりにこのまま抱いてしまいたいという衝動に駆られるが、ぐっと堪えた。
これは俺の身体ではない・・・
頭では理解していても、もしかしたら自分の身体はこのまま発見されず、どこかで人知れず朽ちていくかもしれない。いつまでこうしていられるのかも判らない。そう思ったら今ここにいる証を残したくなった。
「とにかく、ミナムが考えてるようなことはしてない」
一瞬気まずそうに俯いた視線はすぐに強い否定とともに上げられた。
「ふ、ん・・・ま、さすがにそれはないか。もし抱いたなんて言ってたら、ソッコー殴ってた」
そう言って口の端を上げたミナムは拳を軽くテギョンの頬に当て明るい声を出した。
「あーよかった。明日の朝、腫れた顔を氷で冷やしてるシヌヒョンに、何て説明するか考えなきゃいけなくなるとこだった。以上、俺の話は終わり。どうやったら戻れるのかは自分で考えてくれよ、早急に。ミニョの為にも」
俺はもう寝るからとテギョンを部屋から追い出すミナムは目の前の背中に呟いた。
「ほんと、よかった・・・よかったよ・・・・・・」
身体の奥から湧きあがるものを必死で押さえているためか語尾が微かに震える。
バタンとドアが閉まったと同時に頬を伝った光は、噛みしめた感情の大きさに比例してしばらく流れ続けた。