ミニョの部屋に泊まったのは一晩だけ。翌日にはホテルを探し、俺はそこへ移った。
部屋にこもり社長をどう説得するかを考えたが、なかなかいい案が思いつかない。しかしいつまでもこのままでいるわけにもいかず、とりあえず数日後に事務所へ行くと連絡をした。
約束の日の朝、俺は喉の痛みで目が覚めた。
「しまった・・・」
田舎の古いホテルは設備も古い。
空調が壊れたことに気づかず寝ていた俺は完全にやられた喉で事務所へ行き、アン社長とジェルミに沈痛な顔をさせた。
「急にやめるなんて言い出すから変だとは思ったんだ。どうして黙ってたんだ、言ってくれれば俺だって無理はさせなかったのに」
「ヒョン!やっぱり悪いとこがあったんじゃないか!」
自己管理を怠らない俺が、まさかエアコンで喉をやられたとは微塵も思わなかったんだろう。喉に問題を抱えていた俺の症状が悪化したと思ったらしい。
”A.N.JELL脱退、事務所退所、芸能界引退”
アン社長は了承してくれた。項垂れながら。
ジェルミも納得してくれた。目に涙をいっぱい溜めて。
俺とシヌの間に何かがあったことを薄々感づいていたのか、複雑な表情のミナムは何も言わず、本当の理由を知っているシヌは、もちろん黙ったままだった。
記者会見は短めに終わらせた。
引退理由は喉の不調のためと発表。
ミニョの言った通り、世間は大騒ぎになった。
グループ内の確執が本当の理由ではないかと噂が流れたが、最近メディアへの露出が急に減っていたことと、病院での俺の目撃情報が多数あったことから、発表の内容は間違いないのではないかという声も多かった。
ミニョを待ち伏せしていたことがこんな風に役立つとは、思いもよらなかったが。
”移籍”ではなく”引退”という言葉も、世間を納得させるのに役立っていた。
”引退”と聞いて慌てたんだろう。あらゆるメディアからオファーが殺到したが、すべて断った。すでに受けていた仕事は作曲が数曲。
ホテルに泊まっていた俺は事務所のスタジオにこもり、曲を仕上げた。そしてカフェに通っていた頃、ミニョを想いながら書いた曲を置き土産として社長に渡し、事務所を去った。
俺が事務所を辞めしばらくすると、カフェの店長が退院した。そして店を再開させたのでミニョもまたバイトに通い始めた。
陽が傾きかけた頃、あまり対向車とすれ違うことのないいつもの道を走り、俺は車を停めた。
カランコロンと小気味のいい音と、「いらっしゃいませ」という明るい声が俺を出迎える。
いつもの席へ座り、いつもと同じコーヒーを頼む。
客は俺一人。
コーヒーをのせ近づいてくるミニョの後ろ姿に、「お客さん来たら呼んで」と声をかけた店長は、店の奥へと消えて行った。
二人きりになった店で、ミニョは俺の向かい側の席に腰掛ける。
これが最近のパターンだった。
「店長の具合はどうなんだ」
「定期的に病院には通ってるし、お店は十分に休憩をとりながらやってるから大丈夫だって言ってました。それより・・・オッパ、声が変ですよ。記者会見で言ってたこと、やっぱり本当だったんじゃ・・・」
「あれは周りを納得させるために言っただけだと、前に説明しただろ」
以前病院で俺を見かけたというネットの情報を知ったミニョが心配そうな顔をしたが、あれは別の用事があって行ってただけで、診察を受けていたわけじゃないと説明していた。その用事が何かまでは教えていない。
ミニョを待ち伏せしてたなんてとても言えない。
あの時は会いたい一心で必死だったが、今思うとストーカーのようで怖がられそうだ。
「でも・・・やっぱり変ですよ。少し掠れてるし、気にしてるみたいだし」
確かに少し痛みはある。無意識に喉に手がいっていたようだ。
でもその理由ははっきりしていた。
「これは・・・あの古いホテルのせいだ!」
俺は痛みに顔をしかめた。
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