「すいません、遅くなりました。」
店に入って来たのは眼鏡をかけた中年の男。少し長めの髪はまるで寝起きのようにボサボサで、顔には伸ばしているというより何日も剃っていないだけという表現がぴったりな無精髭。白いシャツはよれよれで、いつ風呂に入ったのか疑いたくなるような恰好。
ヘジンは今まで取材に来た記者と比較し、この男のあまりにもひどい出で立ちに一瞬顔をしかめると、愛想笑いを浮かべすぐに男から顔を逸らした。そしてそのまま視線をテギョンへと流した。
記者の男が傍に来た時からテギョンはまるで電車で席を譲りたくないと、居眠りを決め込んでいる人のように腕組みをし、顔を俯けている。
ヘジンは視線に気づいた記者が「少しお話伺いたいんですが」と、テギョンへ迫るように言葉を向けると思ったが、記者はヘジンの期待していたようには動かず、ぺこぺこと頭を下げながら遅れた理由を長々と話すばかり。業を煮やしたヘジンは「取材を始めてください」とテギョンの隣の席を勧めた。
さすがにテギョンに気づく筈・・・とヘジンは口に笑みを浮かべたが、男は「取材ならもう結構です」と言い、テーブルの下を手で探るとそこから小さな機械を取り出した。
「俺が知りたいのは脚色された物語じゃない、真実だ。話はこれで聞かせてもらった、もう十分だ。」
ぺこぺこと頭を下げていた時とはガラリと変わって落ち着いた低い声。不思議なことにだらしなかった恰好が幾分まともに見えてくる。それだけでなく、どこか威厳のようなものまで感じられて。
「ちょっとそれ、いつからそこに!」
男が親指と人差し指で挟むように持っていたのは小型の盗聴器。
それが何か判るとヘジンのマネージャーは慌てたのか、ガタンと椅子を鳴らして立ち上がった。
ヘジンはその時初めてテギョンの肩が小刻みに揺れていることに気づいた。俯く姿はそのままだが、組んでいた腕はいつの間にか解かれ、拳が口に当てられている。
「二人・・・グルね。」
「表現が悪いな、グルっていうのはそっちみたいなのを言うんだろ。彼は俺の協力者だ。・・・それにしても監督、その恰好ひどすぎませんか。」
「あんまりすぐバレちゃつまらんだろ。これでもいろいろと考えて変装したんだぞ。」
「楽しんでるようにしか見えませんが。」
拳で押さえていたテギョンの口からはクスクスと笑い声が漏れ出している。
ヘジンはボサボサの髪を手櫛で整えている男の顔をまじまじと見た。
さっき店に入って来た時はそのだらしない恰好にあまり顔を見ようともしなかったが、今目の前で眼鏡を外しているその顔をよく見れば、初対面の記者ではなくヘジンも知っている監督の顔。
「監督だけじゃない、そこの俺が殴ったヤツ以外ここにいる全員が俺の協力者だ。」
店の中には従業員、客が合わせて二十人ほどいる。さっきまではしゃべっていた客も、忙しく動いていた従業員も、今はその全員が一つのテーブルに視線を集中させていた。
計画はテギョンがドラマを降ろされた直後から始まった。
テギョンの「あれは罠だった」という言葉を信じてくれた監督と電話で連絡を取りながら人を集めた。記者の役を監督本人がやると言い出すとは思わなかったが、雑誌のインタビューと偽ってヘジンを呼び出しテーブルに盗聴器を仕掛け会話を録音し・・・
油断させる為に、わざと周囲のテーブルには人を置かなかった。
テーブルについた時からの会話を全て聞かれていたと知り、マネージャーの顔が青ざめた。
「盗聴なんて、犯罪じゃないのか。」
「へえ・・・じゃあ、薬で俺の意識を奪っておいて、知らない間に知らない場所に運び込むのは犯罪じゃないとでも?」
「何のこと?そう言えばさっきも睡眠薬がどうとか言ってたけど、私は知らないわ。どうしてもって言うなら私が飲ませた証拠でも?」
あの日レストランでテギョンが口にした何かに薬が入っていたのは間違いない。しかしそれは今更調べようのないこと。それが判っているからか、ヘジンは勝ち誇ったように笑みを浮かべた。
「証拠はないな。でもだったらどうやって俺はホテルの部屋まで行ったんだ?」
「テギョンさんあの日はずいぶん飲んでたから憶えてないんですね。前にも言ったけど、レストランで食事した後、テギョンさんが私を送ってくれたんです。で、あと一杯だけ飲みたいからって強引に部屋に入って来て。それを証明しろって言われても困るんだけど・・・」
「だろうな、誰も見てないんだから。ずいぶんうまくやったよな、従業員に金でも渡したか?マネージャーがフロアに誰もいないのを確認して、その後を誰かが意識のない俺をおぶって。ヘジンは最後にエレベーターから降りてたな。そう言えばマネージャーはキョロキョロし過ぎてつまずいて転んでた。足元は気をつけた方がいいぞ、ああ、あと上もな。周りに人はいなくても防犯カメラってのは結構いろんなとこにあるから。」
ヘジンの眉がピクリと動いた。マネージャーに至っては視線が忙しなく動き、さっきからずっと顔色が悪い。
「防犯カメラ?いい加減なこと言わないでください。」
見た者でしか判らない筈のあの時の行動を指摘されても素直に認めようとしないヘジン。
それはテギョンも想定内で、口の片端をわずかに上げるとポケットから取り出したUSBをヘジンの目の前でチラつかせた。
「ここにその時の映像がある。どうする、今すぐ見てみるか?そろそろ茶番にも幕引きが必要だ。」
フフンと鼻で笑うテギョンに対し、マネージャーは顔が上げられず下を向いた視線がテーブルの上を彷徨っている。しかしヘジンはおとなしくなるどころか、キュッと一瞬だけ唇を噛むと、強くテギョンを見据えた。
「もしそこにテギョンさんの言ってた通りのことが映ってたとしても、それって酔ったテギョンさんを介抱する為って思うのが自然なんじゃないですか。睡眠薬で眠らせて運び込むなんて、普通考えませんよ。それに廊下の防犯カメラだけじゃ、その後部屋で何があったのかまでは判らないでしょ。何もなかったって証拠にはならないわ。」
「往生際が悪いな。あれは全部ウソだって、俺を嵌める為の罠だったって認めたらどうだ。」
「そんなこと言っていいんですか?せっかくテギョンさんの為にと思って黙ってたのに・・・・・・あの夜、本当はテギョンさん、私が嫌だって言ったのに、無理矢理抱いたんですよ。」
「なっ!・・・デタラメ言うな!」
落ち着いて話そうとしていたテギョンもヘジンのあまりの発言にガタンと椅子から立ち上がる。そして・・・
「ヘジン、もういい加減にして!」
いつの間にかミニョが傍に立っていた。
宜しければ1クリックお願いします
更新の励みになります
↓