『今すぐコ・ミニョという娘から手を引け、尾行もすぐにやめさせろ。』
それは公州へ行こうとしていたヘジンのもとに、突然かかって来た父親からの電話だった。
前置きもなく強い口調でそう言われ、電話越しにも苛立っている様子が伝わってきた。
「何それ、どういう・・・」
『ビル・アーリスという男を探っていただろう。ミニョという娘には手を出すな、あの男を怒らせたらどうなるか・・・』
「そんな・・・だってお父さんは警察だって動かせるでしょ。」
『相手が悪すぎる、うかつに手を出していい相手じゃない。巻き添えを食うのはご免だ、この先選挙だって控えてるんだ。私の部下を使うのは構わないが、ミニョという娘からは手を引け。』
久しぶりに聞いたその声は、ヘジンを冷たく突き放した。
テレビで見ることはあっても直接会話をすることなど滅多にない、大物政治家の父。
期待はしていなかった。
いや、ショックを受けている自分はやはり期待していたのだろうか?
たとえ愛人の子であっても、娘である自分に、言葉だけでも優しさを向けてくれると。
『手を引かなければ、いくら私でもお前を護ることは難しい』
そんな言葉を期待したのかも知れない。
父の冷淡な言葉と自分の考えの甘さに、ヘジンの身体の奥からはふつふつと笑いがこみ上げてきた。
あの日、スタジオの隅でテギョンに見せた写真にはミニョと一人の老人が写っていた。
ミニョに笑顔を向ける人物 ― ビル・アーリス。
彼が相当黒い人物だと知った時はヘジンの口がひっそりと笑った。詳しいことは調べられなかったが、彼が元マフィアだという事実だけで十分だった。
記事なんてどうにでもできる。
真実などいらない。
ひとかけらの事実さえあれば世間を煽るのは容易なこと。
『ミニョってとんでもない人と知り合いなんですね。もしかして、愛人だったりして』
『マフィアとつながりがあるなんて知れたら、チャリティーコンサートどころか、聖堂で歌うこともできなくなると思いますよ』
そう囁けば、テギョンの顔は険しくなった。
「ミニョとは友達なんじゃないのか。」
レストランの個室。どうしてこんなことをするんだと低い声が響く。
どすんと椅子に座り腕組みをするテギョンは、目の前のヘジンを睨みつけた。
「友達?やだなぁ、友達じゃないですよ、ただのクラスメート。仲良かったグループは別だったし、話したことほとんどなかったような・・・ま、ミニョにとってはクラスメート=(イコール)友達なのかも知れないけど。」
ヘジンは明るく笑いながら料理を口に運び、「このお肉おいしいですよ」とテギョンに勧めた。
テギョンはテーブルを一瞥しただけで食事に手をつけようとしなかったが、かといって席を立つこともせず、腕組みをしたまま顔を背けた。
その冷然な表情と態度は”仕方なくここにいるんだ”と身体中で表しているように見え、ヘジンはテギョンとの距離に虚無感を感じていた。
それでも二人だけの時間を少しでも楽しく過ごしたいと、ヘジンはいろいろな話をする。
しかしヘジンの話を聞いているのかいないのか、テギョンはぴくりとも表情を変えることなく黙ったまま。部屋の中には二人いるのに、一方通行の会話はまるで大きな独り言を言っているようでヘジンの心は虚しさだけがつのっていく。
こうなることは初めから予想がついていた。
シヌやジェルミとの記事を見ても少しも揺れない強い眼差しとその心は、ミニョだけに向けられている。
こんな脅迫まがいのことをして、好かれる要素などどこにもないことは判っているが、感情がそれに追いつかない。
ヘジンの心は暗い闇で息もできないほど埋め尽くされてしまった。
父親から電話があるまでは食事だけのつもりだったのに・・・
「・・・ミニョが悪いのよ・・・」
呟かれた言葉はヘジンの方を見ようともしないテギョンには届かない。
ヘジンはワイングラスを手に取ると、テギョンの冷ややかな横顔を見ながら赤褐色の液体を飲み干した。
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