その日施設の仕事が休みのミニョは、カトリーヌと共に朝から合宿所の練習室に来ていた。
「こうやってミニョと一緒に歌えるのもあと少しね。」
練習室のドアを閉め、階段を上りながらカトリーヌが静かに言った。
「え?」
「もうすぐ半年経つし、私もイギリスに帰らなくちゃ。早目にテギョン君にも話しておかないとね。彼が私にミニョと一緒に住んで欲しいって頼んだ手前、彼の方からは話しを切り出しにくいでしょ?」
何となく、ずっと今の生活が続くと思っていた。
施設へ行って仕事をし、練習室でカトリーヌと歌い、テギョンと会う。
当たり前のように過ごしてきた日常が変わっていく。
テギョンは交際発表をした。それはまだいつかはっきりとはしていないが、確実にその先にある結婚という新しい生活へ近づいている訳で。
ずっと先のことのように思っていたことがいきなり目の前に迫っているような気がしてミニョは少し狼狽えた。
「そう、ですね・・・」
カトリーヌを引き止めることなんてできない。もっとずっと一緒にいたいなんて言える訳がない。近くにいて欲しいとも言えない。
カトリーヌにはカトリーヌの生活があるし、結婚しているカトリーヌが半年近くも自分の近くにいてくれたこと自体、信じられないことなのだから。
友達というにはあまりにも近くにいすぎて、いつしか姉のように慕っていた。
落ち込んでいれば元気づけてくれて、悩んでいれば手を差し伸べてくれる。
出しゃばらず、意見を押しつけず、さり気なくサポートしてくれる。
カトリーヌは自分のことをよく理解してくれているのに、自分はカトリーヌのことをあまりよく知らないと思うと寂しいような申し訳ないような。
いつも色々とよくしてもらうばかりで自分はカトリーヌに何もしていない。
「結局ミニョとはここでしか一緒に歌えなかったわね。」
カトリーヌの声が寂しそうに聞こえる。
「ごめんなさい・・・」
謝るミニョにカトリーヌは慌てて後ろを振り返った。
「やだ、ミニョが謝ることじゃないでしょ。私はミニョに会えて凄く感謝してるんだから。それにいつかは舞台の上で一緒に歌える日が来るって信じてるのよ。」
少しだけ笑いを含んだ言葉は先程の少し寂しそうな声とは違っていて、いつもの明るいカトリーヌのものだった。
二人で練習をした日はいつもキッチンでお茶を淹れ、それを飲んでから帰るのが日課になっていた。
棚には「いつでも好きなものを飲んでいいよ。」とシヌが用意しておいてくれた茶葉がずらりと並んでいる。
「カトリーヌさんは座ってて下さい。」
いつものようにミニョがお茶を淹れ、キッチンのテーブルへ二つのティーカップを並べる。
「ミニョの猫舌は喉の為にも丁度いいわね。」
カトリーヌはニッコリ笑うとお茶を口にした。
「ねえ、ミニョ・・・話があるんだけど・・・」
隣に座り、半分程中身のなくなったティーカップを置くと、カトリーヌがミニョに話しかけた。
「はい、何ですか?」
ミニョは少しだけぬるめのお茶にふーっと息を吹きかけながらゆっくりと飲んでいる。
「あのね・・・前からずっと言おうと思ってたんだけど・・・」
カトリーヌにしては珍しく少しためらいがちに話し出した時、ミニョの携帯が鳴った。
『ミニョさん、今、合宿所ですよね。良かったぁ、帰っちゃう前で。』
電話からはマ室長のホッとしたような声が聞こえてくる。
「何かあったんですか?」
『今朝テギョンから受け取った楽譜の入った封筒、リビングのテーブルの上に忘れて来ちゃったんですよ。』
ミニョが立ち上がりリビングへ行くと確かに大きな封筒がテーブルの上に乗っている。
『早くアン社長に渡さないといけないんだけど、今すぐには抜けられないんで・・・。テギョンも今ならテレビ局に行ってて事務所にいないから、テギョンには内緒でこっそり事務所まで持って来てもらえませんか、お願いします。』
電話の向こうでペコペコと頭を下げているマ室長の姿が頭に思い浮かび、ミニョはクスッと笑った。
「いいですよ、今から持って行きます。」
『ありがとうございます、どうかテギョンには内緒に。折角受け取った楽譜を置いてきたなんてバレたら・・・俺の寿命縮まっちゃうから。』
情けないマ室長の声。
ミニョは小さく笑いながら、判りましたと答えると電話を切った。
「ごめんなさいカトリーヌさん、お話って何ですか?」
テーブルにあった封筒を手にし、カトリーヌの方を振り返る。
「あ、ううん、いいの、また今度で。どこかに行く用事が出来たんでしょう?」
「はい、ちょっと事務所まで。」
ミニョは手に持っていた封筒を見せた。
「そう、じゃあ行ってきなさい、ここの鍵は私がかけておくから。」
「はい、お願いします。」
ミニョはペコリと頭を下げると事務所へと向かった。
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