テギョンの姿がドアの向こう側へと消えると、ミニョは先程まで繋いでいた手をじっと見つめ、大きく息を吐いた。
まだ少しボーッとする頭でドアに目を遣ると、ふと素朴な疑問が頭の中に浮かぶ。
「どうしてオッパがここに?」
バス停で立っているところをハン・テギョンに拾われ家まで連れて来てもらい、カトリーヌに着替えを手伝ってもらった後ベッドへ入ったところまでは憶えているが、その後の記憶がない。
「カトリーヌさんが知らせてくれたのかな・・・」
自分のことでテギョンを煩わせたくなかったのに、テギョンが来てくれたことが嬉しくて申し訳ないと思いながらも頬が緩んでいく。
「ありがとうございます。」
ミニョはドアに向かってペコリと頭を下げた。
テギョンは風呂から上がるとカトリーヌがホテルへ行ったこと、自分は今夜ここに泊まることをミニョに告げた。
「じゃあ、オッパは私のベッドを使って下さい。私はカトリーヌさんのベッドをお借りします。」
カトリーヌの部屋へ行こうとするミニョの後ろ姿に、テギョンは口を尖らせる。
「何で別々なんだ、一緒に寝ればいいだろう。」
「でも、私たぶん風邪ひいてます。オッパにうつっちゃうとマズいです。ドラマの・・・撮影とか・・・皆さんにご迷惑をおかけしては・・・」
ドラマのことを口にした途端、ミニョの表情が曇る。テギョンはそれを見逃さなかった。
「今日の撮影・・・見たのか?」
「・・・・・・」
低く響く声にドアノブを摑もうとしていたミニョの手が止まった。
「お前がいつも使ってるバス停の近くの公園だ。・・・見てたんだろう?」
ミニョはギュッと目を瞑り、小さく頷いた。
テギョンはミニョの肩を摑むと自分の方を向かせ、唇を合わせようと顔を近づける。ミニョはそれを避けるように顔を逸らした。
「嫌か?・・・仕事とはいえ別の女とキスしてきた俺とはキスしたくないか?」
「そうじゃなくて・・・オッパに風邪がうつっちゃうとマズいから・・・」
ミニョはテギョンから顔を逸らしたまま唇を軽く噛んだ。
「違うだろ、そういう台詞を言う時のお前はそんな辛そうな顔はしない。」
テギョンはぐっと奥歯を噛みしめるとミニョの肩を摑んでいた手の力をフッと緩めた。
「お前が俺と一緒に寝られないと言うなら、俺はリビングにいる。お前はこの部屋で寝ろ。」
ミニョの身体をドアの前からどかすと、テギョンは部屋を出ていく為にドアを開けた。
ミニョはテギョンの背中を見ながら唇を噛みしめた。
さっき見た夢と同じ、遠ざかって行こうとするテギョンの背中。
今、言わなければきっと何度も同じことを繰り返す。
自分から近づいて、自分から手を伸ばして、ちゃんと伝えなくちゃ・・・
「オッパ!」
ミニョはテギョンのスウェットの裾を摑むと、広い背中に自分の額を押しつけた。
「行かないで・・・下さい。」
二人でベッドに腰掛け、ミニョは何度も深呼吸をすると、ゆっくりと話し出した。
「私・・・変なんです。オッパがドラマの撮影を始めてから・・・ううん、雑誌の写真撮影を見に行ってから・・・ミンジさんと一緒にいるところを見てから・・・」
「写真・・・ミンジ・・・ミニョ、あれを見てたのか。」
撮影でミンジを抱きしめた日。途中から姿が見えなくなったミニョ。テギョンはまさか見られていたとは思わなかった。
「ちょっと用事があって、スタジオから出たんです。戻って来てドアを開けたらオッパがミンジさんを抱きしめていて・・・そのままドアを閉めました。何故だか見ていられなくて・・・」
ミニョはあの時のことを思い出すと息を詰まらせた。
「仕事だって思っても、胸が苦しくて・・・。オッパに会ったらきっと皆の前でオッパの腕を摑んでしまう、放せないかもしれない・・・。マネージャー見習いとして傍にいることを許されている私に、そんなことは許されない。そう思って、オッパに会うのを避けてました。丁度、施設の仕事も忙しくて、気を紛らわせて・・・。少し時間を置いて気持ちが落ち着くのを待とう、って。でもミンジさんに会ってオッパの話を聞いてると、頭の中がもやもやするんです。胸の奥がズキズキ痛むんです。最初は何故だろうって思ってました。オッパがミンジさんと一緒にいるのを見るのが辛い・・・。気付かないフリをしました。気付きたくなかった。自分の中の感情に・・・」
ミニョの膝の上に置かれた手が微かに震えている。
テギョンはその手の上にそっと自分の手を重ねた。
「傍で見ていられるだけで良かったのに・・・傍にいられるだけで幸せだったのに・・・。ミンジさんに笑いかけているのを見ると頭の中がザワザワして、胸の奥がチクチクして、嫌だって・・・。仕事だって判ってるのにミンジさんに触れて欲しくないって思う我儘な自分に気付いてしまって・・・」
自分の中にこんな感情があるとは思わなかった。
仕事とはいえ、他の女優に優しく微笑みかけるテギョンに心を乱される。
仕事とはいえ、テギョンに触れる女優に心を乱される。
自分だけを見て欲しい。
自分だけに触れて欲しい。
テギョンを独り占めしたい・・・
こんな醜い感情を知られたらテギョンは呆れるんじゃないか、テギョンに嫌われるんじゃないか、そう思うと怖くてずっと今まで胸の奥に押し込めてきた自分の本当の気持ち。
堪えきれなくなったミニョの想いは胸の中から押し出されるように言葉となって口から零れ出す。
瞳からは一筋の涙が滴となってミニョの手に重ねられたテギョンの手の甲にポタリと落ちた。
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