予定していたよりも編曲作業が長引いてしまい、テギョンは合宿所へ帰る車を急がせていた。
玄関を開けると靴を脱ぐのももどかしいといった様子で、リビングへ行く。キッチンを見回し、階段へ向かう。
『今夜はミニョ、そっちへ行かせるから二人でゆっくり話しなさい。』
聖堂から帰ろうとするテギョンにカトリーヌが言った。
最近電話のテギョンの声が元気がないとミニョはカトリーヌに話していた。
普段口数の多くないテギョンも、ミニョとはよくしゃべる。それが最近はあまりしゃべらず、電話の途中で話が途切れることが多いと。
ミニョが聖堂で歌うことに反対はしていないと言っていたが、どうしても気になってしまう。
テギョンの 「俺の前でだけ歌うことを許可する。」 という言葉を気にして、最後まで 『アヴェ・マリア』 を歌うことを躊躇していたミニョ。
二人でゆっくり話ができるようにと、カトリーヌは夕食を済ませるとミニョをマンションから追い出した。
「明日の朝は合宿所から直接仕事に行きなさい。」
多少強引ではあったがカトリーヌの心遣いに感謝し、ミニョは合宿所へ向かった。
テギョンが自分の部屋のドアを開けると中は真っ暗。灯りを点け中へ入るが人の気配は全くない。ぬいぐるみ部屋も覗いてみたがそこにもミニョの姿は見えず、テギョンはあちこち走り回った後、地下への階段を下りて行った。
灯りの点いた練習室の大きなガラス窓からミニョの後ろ姿が見えると、テギョンの口から安堵のため息が漏れた。
音を立てぬようにそっとドアを開けると、部屋の中はミニョの歌声で満たされていた。
昼間聖堂の広場で聴いてきたばかりのカッチーニの 『アヴェ・マリア』 。
何度聴いてもミニョの 『アヴェ・マリア』 は完璧だなと思いつつ、途中のワンフレーズで少しだけ眉をしかめた。
「伸びが足りない、疲れてるんじゃないか?」
突然後ろから声をかけられ、跳びあがるほど吃驚したミニョはテギョンの姿に顔を綻ばせた。
「オッパ、お帰りなさい。」
はにかむミニョにテギョンは片方の眉を上げると腕組みをして口の片端を上げた。
「今日、あんな大勢の前で歌っておいて、まだ観客が足りないのか?」
キーボードの上にちょこんと座っているテジトッキを見ながら皮肉めいた言葉をかけるテギョンに、ミニョはしゅんと顔を俯けると上目遣いにテギョンを見上げ呟いた。
「ごめんなさい、私また・・・歌っちゃいました・・・」
ミニョを先に風呂に入らせている間に、テギョンはA.N.JELLのファンサイトをチェックしていた。
ジェルミのラジオ放送以来、ミニョの歌のことがよく書かれている。
「シヌの奴・・・いつに間に・・・」
シヌの書き込みを見つけ口を歪めるテギョン。もちろん悪い事が書いてある訳ではない。むしろ、褒めちぎっていると言ってもいいくらいだ。
高く透き通った美しい声。伸びのある柔らかな歌は、聴いていて心が和む。ぜひ、その歌を生で聴いてみたい。自分もファンになった、と。
ミニョの歌うクラシックを初めて聴いたシヌの正直な感想だろう。だがそれが何となくテギョンは気に入らない。
つくづく今日、シヌが聖堂に行ってなくて良かったと思ったくらいだ。
今日の歌のことも多数書かれていた。どれも好意的なもので、テギョンの口にも笑みが浮かんだが、歌はとても素晴らしかったが、一緒に行った彼氏がミニョに見惚れて顔を赤くしているのを見て腹が立ったと書いてあったのを見つけた時は、正直、笑えなかった。
テギョンが風呂から出るとミニョは椅子に座り、テジトッキを抱え、ボーッと焦点の合わない目で壁を見つめていた。
「私はオッパのお役に立てたんでしょうか。」
テギョンはベッドに座り、開いた足の間にミニョを座らせると後ろから包み込むように腕を回した。
「カトリーヌさんから聞きました、キム記者のこと・・・。私の歌は役に立ったんでしょうか・・・」
「あの歌の件に関しては何か言ってくることはもうないだろう。ファン・ギョンセを敵に回す度胸があるとは思えないし、下手に騒いで一般大衆を敵に回しても会社から追い出されるだけだろう。」
ミニョの肩に顎を乗せ、腕の中の柔らかな温もりを抱きしめるテギョン。
「これからは違うことで悩まされそうだ。」
「何か問題があるんですか?」
ミニョは身体の前に回されたテギョンの手にそっと自分の手を重ねると、不安げにテギョンへと顔を向けた。
「シヌの出演しているドラマの監督がミニョに会いたいと騒いでいるらしい。ミナムが取材を受けた記者もミニョを捜しているようだ。聖堂の中にマスコミが押しかけることはないだろうが、お前の周りが騒がしくなっているのは事実だ。」
それにギョンセが帰り際にカトリーヌと交わしていた会話。
『キャサリン、いつかまた一緒にやろう。その時はぜひ、コ・ミニョさんも一緒に』
テギョンはそのことをミニョには話せなかった。
「私はどうしたらいいんでしょうか。」
「どうもしなくていい、今まで通りで構わない。聖堂の施設で子供達の世話をして、聖堂で歌を歌う。・・・俺はお前がメディアに出ることは望んでいない。」
「私も出るつもりはありません。」
「だったら気にすることはない。」
テギョンは二人の考えが同じであることにホッとすると、うとうととしているミニョをベッドへ促し、自分も横へ身体を滑り込ませる。
「ミニョ・・・早過ぎだろ・・・」
既にスヤスヤと寝息を立てるミニョの頬を軽くつまんでみる。全く起きる様子の無いミニョに少しだけ口を尖らせたが、そのあどけない寝顔を見て口の両端が上がっていく。
「ミニョ・・・サランヘ・・・」
そっと唇を重ねミニョの身体を抱きしめる。
ミニョが自分の腕に中にいるというだけで安心できる。
柔らかな温もりと、甘い香りを感じながら、テギョンは久々に深く落ち着いた眠りについた。
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