1991 CALBEE BASEBALL CARD 『博光と博満』 | 『一人暮らしの猫飼い』

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●1991 CALBEE BASEBALL CARD 『博光と博満』
約1ヶ月前に、実家に帰省した際に何年かぶりで確認した物について。
40年前から、毎年発売されている、カルビー社の野球チップスの野球カード。
これは、1991年の物。
当時のリーグを代表する強打者2人。
門田博光と落合博満

門田博光は、1988年を最後に古巣の(南海)ホークスを退団する。
本人の強い意向として、在阪球団への移籍を希望。
ホークスを南海から買収したダイエーとしては、88年のリーグMVPの強打者をトレードで放出する事になったが、結果移籍する(オリックス)ブレーブスと水面下でどんな交渉が有ったのだろうか興味深い。
(ダイエー)ホークスは、若手3選手を交換トレードで獲得するが、3選手の中で、捕手の内田強しか活躍できなかったと記憶している。
門田博光は、1989年1990年の2年間、ブレーブスで活躍するが、翌1991年より古巣のホークスへ移籍する。
(本人の希望によって、オリックスを自由契約からの移籍だった)
オリックスは、阪急からブレーブスを買収し、買収する際の条件、名称ニックネーム“ブレーブス”を引き続き使用するのだが、1991年から名称を、ブルーウェーブに改称する。
(そのほかには、西宮球場を引き続き使用する、上田監督の留任だったと記憶している)
1990年から1991年へ、オリックスは阪急から引き継いだ、ブレーブスの名称、上田監督、フランチャイズの西宮球場を、ブルーウェーブに、土井新監督に、グリーンスタジアム神戸へ変更する事になる。
そして、門田博光はブレーブスから、ホークスへ復帰する。


門田博光のプロ入り後の背番号は、
27⇒44⇒60
ブレーブス移籍後⇒78
ホークス復帰後⇒53

門田ほどの実績を残した選手は、実績を重ねるごとに、背番号は若くなる例が多いのだが、門田は例外。
ブレーブス移籍時の78番、ホークス復帰後の53は、占いによって決めたとも聞いた事が有るが詳細は不明。

同時期の、カルビー野球チップスのカードをいくつか。


まるで、銀行員かとも思われたほど、物静かで堅実そうな風貌だった、ウェイド・ロードン。
強肩、俊足で活躍した、ロバート・ジェームス・レイノルズ。
当時は、横浜大洋ホエールズ。
RJ・レイノルズと表記されることも多い。
この選手は、当時の日本の球場では狭すぎて身体能力を持て余していたと思う。



エディー・マーフィーのそっくりさんとも言われた、ラルフ・ブライアント。
写真から判断すると、川崎球場での対(ロッテ)オリオンズ戦。
後姿が見える、オリオンズの捕手は、背番号39番の福澤洋一だろうか?。
深澤捕手は大学卒業後、ドラフト外で契約する前に、練習生として練習に励んでいた時期が有る。
マリンスタジアムへ移転後も現役を続けるのだが、(山本功児監督最後の年)2003年のシーズン最終戦の9回に代打で登場し現役最終打席をヒットで飾った。



マイク・ディアズ、来日当時球団は、登録名をランボーとしようと考えていたが、諸般の事情で実現せず。
指名打者での出場が多かったと記憶しているが、本人の希望でメジャーでも経験のある、捕手での出場も有る。
現役時に、全米アームレスリング大会で優勝した経歴も持つ猛者。

この当時、ロッテオリオンズは、ホームもビジターもどちらもユニホームは“LOTTE”の表示。
ロッテ本社は、利益を挙げている優良企業だったが、オリオンズには資本を投下する意思は全くなかった様子。
この当時も販売されていた、”ビックリマンチョコ”の売上が1000億円を超えていた年も有ったと聞いていた。

この当時の現役選手で推定年俸が一番高い選手は、落合博満だったが、その落合が、年俸1億円に到達したのが、ドラゴンズ移籍後(1987年)のこと。
オリオンズ時代の1986年の推定年俸は9700万円だったと記憶している。
その当時、ビックリマンの売上の1%でも、オリオンズに投下していれば…。
と、思う事が有る。







こちらは、カルビー社ではなく、ベースボールマガジン社から発売されたベースボールカード。
1991年のオールスターセット。

 

その名の通り、その年のオールスターゲームの出場選手のセット。
パッケージの裏側に映る選手。
桑田真澄、真弓明信、門田博光。
その年のオールスターゲームに出場した選手は、さすがに皆引退したと考えていたのだが、一人だけ2015年時点で現役選手が居た。
その人は、当時の“ブルーウェーブ”の捕手、中島聡。

ファイターズでは選手登録されてはいるが、コーチ兼任で、出場機会はほとんどない。
もうベテランと言っていい大野翔太が出遅れても、市川が近藤が石川がと、若手の台頭もあり、今年限りの可能性が高い。



こちらは有名で、このカードセットの価格を押し上げた要因の1枚。

右手にミットを持つ、左利きの捕手。
写真のネガを、左右反転に印刷してしまった、“裏焼き”のカード。

若かりし日の、古田敦也捕手。
カルビーのカードでは、入団1年目のカードに、裏面の寸評(コメント)では、あだ名を、“のび太”と書かれていた。
さらに同じカードに、“ラッシャー板前にも似ているぞ”とも、書かれていたのを覚えている。