T-REXさんのクウネルアソビトル III-パリ編 3日目コンシェルジュリ編II | 空は見れど

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今日もコンシェルジュリの最終話です。

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 恐竜ちゃん曰く 1789年のフランス革命勃発後、パリに連行された国王一家は3年弱をチュイルリー宮で過ごしたあと、国外への逃亡を図った(ヴァレンヌ事件)。だが、国境近くの村で正体がばれ、パリに連れ戻されてしまう。
 この緊張と恐怖のストレス体験により、マリー・アントワネットの髪は老婆のような白髪に変わってしまったと言われている。
 敵国オーストリアへの逃亡を図ったということで、国王への信頼は完全に失墜した。翌年の王政廃止によりルイ16世は王権を剥奪され、ただのルイ・カペーとなった。それまでは立憲君主国という道も残されていたのだが、人心は完全に国王から離れてしまった。逃亡事件は完全な裏目となったのである。
 民衆にチュイルリー宮を襲撃され立法議会場へ逃れたあと、一家はタンプル塔に幽閉される。使用人や料理人も同行したというから、案外優雅なものだ。
 1793年1月、ルイ16世処刑。半年後、次男ルイ・シャルル(ルイ17世)が引き離される。そして8月、マリー・アントワネットは長女マリー・テレーズと義妹エリザベス内親王を残し、裁判を受けるためコンシェルジュリに移送された。カペー夫人と呼ばれていた彼女は、このときから「女囚208号」となる。
これは、処刑された囚人の名前を刻んだプレート。マリー・アントワネットの名が
コンコルド広場で処刑台に上がったのは2500人を超えるというから、ここにそれだけの名前が刻まれているということになる。

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「5月の庭」と呼ばれる中庭。女囚が散歩を許されていた場所です。
いつも牢屋の中にいたわけではなく、こうして散歩を楽しみ、時には男の囚人と柵越しに言葉を交わすこともあったという。
 
ちなみにマリーアントワネットは処刑される日、ここから馬車に乗ったのだそうだ。

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マリー・アントワネットの独房の再現コーナーである。
 実は実際に独房があった場所はここではなく、先ほど出てきた祭壇が設けられた部屋になる。
 独房は二つに区切られ、半分を見張りの憲兵が使い、残りが王妃の生活空間にあてられていた

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常に監視の目が光っていたのは、アントワネットが幾度も脱走計画を企ててきたためだそうです。

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そして兄夫婦はコンシェルジュリをあとにしたそうな
ではまた明日。