先日エルアウラさん主催の映画上映会+解説講座をさせていただきました。


上映した映画の予告編⇒

(字幕と配給をわたくしが担当しています)

 

臨死体験者の経験と、意識を研究する科学者の考察から「私たちの本質は?意識って何?」と問いかける映画です。

 

今日のブログのタイトルとしてご紹介したのは、この映画の登場人物ジョン・バトラーさんの言葉。

 

このことについて、共有させていただきたいことがたくさんあったのですけれど、時間の関係もあって十分に思うところを共有できませんでした。

 

そこで、この場を借りて思いの丈をお話したいと思います!

(補足なんてたいそうなもんじゃありません^^)

 

「知識は神への欺き」

 

この場合の「知識」とは、”表面的な意味”だけを知ること。

 

私たちがふだん使う「知識」という言葉が表わしているのは、ものごとの表面だけを見て、その表面にペタっとシールを貼って、「ああ、これが○○ということね」と言っているに過ぎません。

 

それがここでいう「知識」。

 

そのような薄っぺらい理解だけでわかった”つもり”になる、それは神への欺きだとおっしゃっているのです。

(キビシ~)

 

では、本当の意味で「わかる」ってどういうこと?

 

「不可知」

 

知ることができないこと。

わからないものはわからないままにすること。

 

バトラーさんは「本物の知識は啓示によってしか訪れない」とおっしゃっています。

 

マインドや思考の活動によって無理くり理解しようとするのではなく、わからないならわからないままにする。

わかるというのはつまり、言葉を当てはめて(シールを貼って)わかった”つもり”になることだから。

 

それでも、啓示という光が本物の知識(叡智と表現できるかもしれなません)をもたらしてくれる。

それが訪れるのを待つことしか、私たちにはできないのです。

 

そうして得た本物の知識は、マインドの領域にあるのではありません。

なので、言葉で表現することもできません。

 

でもそれでいい、そのままでいい。

言葉にしたとたん、本質はこぼれ落ちてしまうから。

 

言葉では表現できない本質。

 

不可知(知ることができない)であると識りながら、何かを感じていること。

 

本質とは、神とは、そのようなもの^^

 

 

このブログでは、「奥行き」「深さ」「深遠さ」といった表現をたびたび使っていますが、たとえばそういうことなのですね。

 

マインドや思考で理解できないものに向かって心を開こう!

それがアセンション(未知)への道なのだ♪

 

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ご紹介した映画、次回上映会は『癒やしフェア2024 in Osaka』で♪

 

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福田カレンさんがわかりやすく解説②キリスト教徒がたどった究極への道すじ