第1、第3金曜日の無料オンラインサロンにご感想をいただいたので、一部ご紹介させていただきます![]()
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昨日は、
「物質面が満たされると恐怖が無くなり、愛に基づく共有の世界に変容する!」
という希望のある明るいお話に
心が喜ぶというか、とても嬉しい内容で、
本当にその通りだと思いました。
世の中全体が根本から変わりますね。
長年非二元の探求をしてきて、もうそろそろ
終わりにしたいと思うこの頃です。
頭での理解はかなり進んできていると感じつつ
どうしても自我は掴もうとするのをやめられないようで
カレンさん翻訳の『この自由』では、
トニーパーソンズは他のティーチャーよりバッサリ感が強くて
自我が切られまくって、
何もする事は無いしその時がいつかも分からないしと、
なかば絶望的になってます(笑)。
カレンさんの探求が終わった時は、どんな感じだったのでしょう?
ここまで<<<<<<<<<<<<<<<<
「探究の終わり」について
こんなふうにお返事しました。
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トニー・パーソンズさんの『この自由』は、
まさに探究を終わりにしてくれる内容だと思います。
私もパーソンズさんのように
ばっさばっさと切りまくるような発信がしたいな~と思いつつも
物語の世界をおもしろがっている私がいます。
無理に終わらせようとしない、
終わらせようとすることを終わらせる。
トニー・パーソンズ風に言えば
そんな感じでしょうか!笑
私は、カレンという自我が紡ぐ物語を
できるだけカレンの望む通りに紡がせてあげたいと思います。
「こんな花が咲いていたらいいな」
「こんな実がなっていたらいいな」
というカレン好みの花園、植物園のお世話係?とでも言うか・・
ここまで<<<<<<<<<<<<<<<<
自我の私は、肉体を持っている以上
肉体をできる限り心地良く生きさせたい。
(前回の「生存本能」にも通じる話)
仏教の修行(座禅、断食、滝行、夜中に山に登る、歩かずに五体投地で移動する等々)には、肉体を痛めつけることで自我と肉体感覚との関わりを断ち切り、ひいては自我の支配力を弱める、といった目的があるように思います。
肉体感覚がある以上、どこまで行っても、肉体のお世話をせずにいることはできません。
トイレを使わず糞尿にまみれるとか?
即身仏になるのではなく、ただ餓死するとか?
ちょっと極端ではあるけれど、そうしたことは究極への道だとは思えない。
だからこそ、長い断食の後、仏陀は(断食そのものによって、ではなく)
「スジャータにもらったミルクを飲んで光を得た
」
というようなおはなしが伝わっているのだと思います![]()
終わらせることにこだわるのではなく、認めていい。
自分を大切にする、という(よくある)表現がこれに当たるのかも。
心地良くいたい、おいしいもの食べたい、整理整頓された清浄な場所で暮らしたい、などは、言い方によっては欲望かもしれないけれど、だとしても、否定せず認める。
「探究の終わり」と少しずれたかもだけれど、結局はこういうことなのではないかな![]()
「私は探究を終わらせた」と言っているのではありませんよ、念のため。
トニー・パーソンズ『この自由』
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6月24日(水)14時~、高輪ニューマン28Fの The Public Place で。
お席数の関係で、もうそろそろ締め切りです。
詳細は⇒
獅子座木星期の始まりと『果物のお茶会』 | 言語化の実験場:福田カレンのブログ
お問合せ先メールアドレス⇒
fruitarian@fruit-of-eden.com
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youtubeページ『何かではないすべて すべてである何でもなさ』
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