・天職と”好きなこと”が一致するとは限らない

・食べるために働くのは本末転倒 

 

これまでにも、こんなことについてはあれこれ書いてきたかと思います。

 

何のために、わざわざこの面倒な”身体”というものを持ってこの世界にいるのか?

 

と考えると、魂の成長とかいったことなわけなので、楽しくておもしろくていことだけをしているより、むしろ辛いことや苦しいことをする方が効率的に宿題をこなせる、というわけです。

 

(生まれる前にどういう設定(計画)をしたかにもよります)

 

それに、ごはんを食べるために働く、っていうのもまた、本末転倒です。

 

様々な経験をするための土台となる身体を整える、そのために食事をする、のですよね??

 

かれこれ20年通訳・翻訳の仕事をしていますが、充実感こそあれ、辛くて苦しかったです。

 

でも「これが私の仕事だ」という確信めいたものがあり(他にできそうなことがなかった、とも)、何か別の仕事をしてみよう、と思ったことはほぼありません。

 

この「確信」は、思い返すともう半世紀遡ることになります(きゃー)。

 

子供の頃に好きだった塗り絵の本に「女の人の職業」的な一冊があって、「保母さん」とか「お嫁さん」とか、今時の”常識”に照らして言うとポリティカリー・インコレクトな職業含め、色々な仕事をする女の人の絵が載っていました。

 

その中で私が気になったのは「女医さん」と「スチュワーデス」

 

たぶん5才とか、そのくらいの年齢だったと思うのですけれど、「どちらもぴったりではないけれど、何となくこんな感じ」と、幼稚園生くらいだった私は感じたのです。

 

(通翻訳って、女医とスチュワーデスを足して2で割った感じ、ありませんか?)

 

 

恐らく、生まれる前にそんなような計画を立てたんでしょう。

恐らく、5才の私はその計画を覚えていたんでしょう。

 

だからこそ、楽しいから、好きだからというより、これが私の仕事だと知っている、だから辛くても苦しくてもやる、しかないんだ、という感覚は揺るぐことがなかったのだと思います。

 

そして、今!

それももはや、古い価値観^^

 

「辛くて苦しくても、魂の成長のために」っていうド根性系は、もう選ばなくてもいい♪

もっとふんわりした「好きなこと」でいいのだ!

 

いつも申しているように、世界という現実は私の内にあります。

私の認識が、世界と呼ばれているものです。

 

だとすると、仕事や食べることに関して「時代は変わった」とはいえ、それは私の認識が変わったことを意味します。

 

今、私にとって通訳や翻訳という仕事は、喜びであり天からの呼びかけに応じること。

(callingって言いますよね、天命)

 

私の中で、同じ仕事でも、その意味が変わったのです。

 

アセンションという言葉の元になっているのは、ascend(上昇する、高めるなどの意味)。

 

空中携挙 とか 携挙 とキリスト教の文脈で呼ばれるアレ

 

内的な認識がascendした、これがある意味におけるアセンションなのです。

 

ナチュラルスピリットさんの動画の中で「アセンションは、局地的に、あっちこっちで今この瞬間にも起きている」というようなお話をした記憶があるのですけれど、その心は~~、こういうことなのですね。

 

伝わったかなあ?

 

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