先日の無料オンラインサロンで、

 

 

時間は「本質的にはない」とお話ししたのですが、そのことについてうまく伝えられなかったので、この場で補足したいなと思います。

 

まず、時間というものは独立して存在していません。

 

空間というものと依存関係にあるし、私たちの意識とも関連性があります。

 

ある意味で時間は、空間(距離)を図る指標みたいなものです。

単なるツール、物差しや巻き尺みたいなものです。

 

空間(距離)というものがなかったら、時間は必要がありません。

 

すべてが一点に凝縮された世界には距離もありませんから、遠い(時間が長い)、近い(時間が短い)などと計測する指標も必要がないのです。

 

一点しかないのだから、過去とか未来もありません。

 

私たちの意識との関係でいうと、深く集中している時と、それ以外の時では時間の流れ方が違います。

 

ふだんの私たちは、五感だけを使って、世界の表面だけをなでているので、★だけが現実かのように認識しています。

 

 

深く集中している時や、アスリートの言う「フロー」の状態にある時などは、表面だけでなく点線の部分まで降りていって現実を認識しています。

 

それによって、時間が長く感じられるのですね。

 

(意識の活動のが大きい)

 

非二元(ノンデュアリティ)には「知っていること(ノウイング)」という表現がよく出てくるのですけれど、点線部分を認識し続けていること、つまり世界の深み、リアリティに気付いていることの表現だと思っています。

 

世界のリアリティに気付き続けるのは、ある意味で特別なことかもしれませんが、ふつうの人も聖者も、同じ人間である以上つくりは同じ。

 

そのような方法で現実を認識することは、誰にでもできます。

 

ただ、コツを知っている必要はあるかも。

 

でもそのコツを言葉で説明することはできない。

なぜなら、言葉というのは★部分にしか対応していないからです。

 

瞑想等々は、個々人が世界のリアリティを体験するコツを見出すための入り口として開発された手法、なんじゃないかと思っています。

 

回りくどい書き方をしたのは、瞑想そのものがコツとは言い切れないと思っているからです。

 

「知っていること(ノウイング)」についてはまた改めて共有したいと思いますが、以前お話ししたオープンさ

 

”ポジティブ”と”オープン”の違いから考える、3次元と5次元の違い。 | めざめとさとり、そしてアセンション (ameblo.jp)

 

に似ているかな・・・あ、ちょっと違うかも。笑

 

似ているのは、自我の意味付けがないというところ?

 

★★★★★

 

ところで、昨夜みなさんのところにサンタさんはやって来ましたか?

 

私は、サンタさんへのプレゼントを枕元に用意して眠りましたよ^^

 

サンタさんにとってこのようなプレゼントは、究極の美味なのか、ありがた迷惑なのか、どっちなんだろう・・と思いながら。笑

 

メリークリスマス♪(って、アメリカではもうすっかりNGワードになってしまいましたね・・ヘンな世の中だ)

 

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こんなお話しの続きと、フルータリアンという食生活についてお話しする予定です。

 

 

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特集『真我(I AM)を認識する』 

福田カレンさんがわかりやすく解説①ダイレクト・パスでたどる真我への道すじ

福田カレンさんがわかりやすく解説②キリスト教徒がたどった究極への道すじ

 

 

 

 

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