先般、仕事も順調でさらなる将来が期待されていた、人気俳優の急逝の報に世間は驚きました。自死とされ、繊細でストイックな性質や複雑な生い立ちが重荷となっていたとも、コロナうつが重なったのではなどと、取り沙汰されています。
彼は好感度が高く、周囲に気づかい、関係者や仲間にも慕われていたようで、世間的にも業界でも悔やまれる声が絶えません。仕事に意欲的に取り組み、多彩な魅力を開花させていたなか、余計に、心の闇は深いものがあったのかもしれません。
表面にはけして弱みを見せず、自分のなかで葛藤を溜めて、抱えきれず、自身の人生を終わらせたい衝動にかられたのか、苦悩の果てに、自分を追いつめてしまったのでしょうか。一時的な迷いで、適切なフォローや深く支えられる人物がいたならば、回避できたのか、それはわかりません。
身近な人はショックが大きく、後悔にかられる部分があるかもしれません。けれども、彼自身でしか、心の重荷を取り去ることはできないものであり、今となっては、たましいが安らかならんことを祈るしかないでしょう。
また、ALSという難病を抱えた女性が安楽死を望み、関与した医師らが嘱託殺人の疑いで逮捕され、事件になっています。ALSは運動神経系が変性し、からだが動かなくなり、呼吸さえ自力でできなくなる恐れのある疾患です。それは、どれほど過酷な闘病となるでしょう。
女性は、SNSで彼女の意図を汲む医師と通じ、処置がほどこされたとされます。主治医でもなく、ほぼ面識のない相手との不穏なつながりであり、逮捕された医師二人の職業的倫理観が問われるものです。
家族や在宅医療のスタッフなど支援者にとっては、女性の安楽死の強い要望は把握しておらず、女性の突然の死は、受け入れがたい驚きであったと言います。介護にあたる人は、命の尊厳を守り、前向きに生きる希望をうながすことをモットーとします。
ゆえに、女性はあえて本心を明かさず、自身の目的を果たすことに執着し、見知らぬ相手を頼ったのかもしれません。医療の関係者は、どれほど厳しい病状であるか十分に承知しているでしょうが、やはり当人の境地をすみずみまで推し量ることはできません。
与えられた命は、人生をまっとうし、終えることが本望であり、絶対的な基本です。自死を選ぶことは、あってはならないことです。
しかしながら、その人がどうしても肉体を脱ぎ捨てたいと思い至ることはあるかもしれません。日本では積極的な安楽死は許されませんが、尊厳死が認められ得る場合もあるでしょう。
精一杯に生き、果敢にチャレンジし、大きな成果を収めたとして、満たされない自分、救われない自分に戸惑うことがあるかもしれません。自分のなかに御しきれない闇を抱え、自分で区切りをつけて、自分を終わらせたいと切望することがあるかもしれません。
自死を望むことは、おそらく無念を抱え、苦悩のなかで生を終える選択をすることです。やはり、身近に寄り添う人に支えられるとか、何らかの指南とか啓示にふれ、心が救われ、おおらかに生に向きあうことが望まれます。
けれども、自らの運命に翻弄され、または受けとめたうえで、自死を選ぶことがあります。肉体から解放され、たましいとなり、いかなる境地に至るでしょう。
自身の死に大切な人たちが深く動揺する様子に、たましいは憂うかもしれません。
無念にも自ら旅立ってしまったとして、たましいとなったならば、安らかに昇天できることを静かに祈ることが、弔いとなり、残った人のなぐさめとなるでしょう。
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