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前回の話
続きです。
時刻は13時過ぎ。
まだ私、いきみ続けている
これまでずっと
短くない時間を
全力でいきみ続けているわけで、
めげそうになる
限界をこえてるのに
容赦なく
いきむべき波が来て
それが毎回ものすごいってのは
トラウマになりそうな感じね。
記憶があいまいだけど
結局私、最後まで
「必死」「余裕なし」
「早く逃れたい一心」
「ときおり「私と息子が主役」と
自分を奮い立たせてはいるものの、
辛すぎて常に少しは助産師さんの
指示や存在にすがっている」
「かろうじて、呼吸で逃して
冷静さはなんとか保っている」
「でも限界とっくに超えてる」
って状態で
私が本能的に
「いきみたい」
「指示や理性と関係なく
抑えきれずいきんでしまう
(もうとっくに抑えなくていい
段階なんだけど)」
ってことはなかったように
思います。。
持ち前(?)の冷静さや「○○すべき思考」が
悪い方向に出ていたように
今振り返るとちょっと思う
(でもその「持ち前」のおかげで
呼吸コントロールや感情の制御が外れて
痛いと叫ぶとか泣きわめくとかはなかった。
それやっちゃうともう
痛みをこらえられなくなっちゃう。
今思う理想は、その冷静さを備えながらも
もっと体をゆるめて、本能的になって
息子の声や自分の中の自然や魂?を
信じて感じること…
まぁ当時もある程度それをずっと
意識してたつもりでできなかったんだけど)
ただね
容赦なし×毎回の辛さと
不安と疲労のなかの
何度もの全力いきみのなかの
時折で
上手くいったらしい回 があって
(すこし進んだ・下がった回)
「今いいかんじ」など
助産師さんから言われたけど
他の回との
違いが分からず、
とにかく毎回全力の私
ようやく
・・いや本当にようやく
助産師Sさんが
(おそらくベテラン助産師さん
への報告・確認の声かけとして)
「発露です」
というのが聞こえました。
発露(はつろ)
っていうのは
1人目出産のときは
知らなかった言葉で
たしか2人目妊娠中に
何かで目にして
偶然意味を知ってた用語。
赤ちゃんの頭が出てきて
子宮口いっぱいに
見えたままの状態になって
(陣痛がないときも)
要は子宮口の開きが
パツパツMaxになっている
産まれる直前状態のことです。
※幸子的つたない説明ですが
ちなみに
「排臨」って言葉もあるんですね。
意味は「いきむと赤ちゃんの
頭が見え、いきむのを止めると
引っ込んでしまう状態。
頭が見えたり隠れたりすること」。
これは、私は
2人目出産時には知らなくて
今(発露のことを改めて調べていて)
知った言葉で、当時聞こえていた
としても分からなかったなぁ
と思います。
で、Sさんが
(おそらく)私への説明でなく
小さく短く言った、
その「発露です」って言葉。
たまたま意味を知っていて
理解できたことで私、
すごく救われたというか
今更だけど状況が見えたというか
やっと先が見えたというか
よーうやく
ようやく
感がすごかった
でも
この「発露です」は
タイミング的に
私にとってはある意味
唐突に感じたというか
(ほら・・いきんでも
自分ではどこでどう上手くいってるのかすら
感じられない状態だったから。。)
そのときの私には
「あ、(もう)そうなんだ」
みたいな少しの驚きというか
意外さみたいな感もありました。
いや、とっくにもう
限界を超えて
すぐにでも解放されたい
思いでずっといるので
=余裕持って先を
見通してるわけじゃないので
「もっと先かと思った」
「もう?意外と早い♪」
なんて思える余裕や情報は
少しもなかったから
実際このとき
そういう感想にはならなかった
と思うのだけど
でも「お、(もう)発露・・」
というような
少しの驚きみたいなものが
あったんですよねぇ
いやこうして発露のところまで書いて
ふと改めて思い返してみて
疑問があるのですが。。
私このとき、これまで
助産師さんに
「子宮口9㎝だよ」とか
「ついに全開まできたよ!」とか
言ってもらえてたかなぁ・・
記憶にないんだよなぁ
(月日が経って忘れているのかもだけど)
長い道のりのあとに
まだ8㎝って言われたとき
(例によって何度目かの)
軽い絶望感というか
現実の数字にめまいがしそうに
なって(これは書いた)
そのあと
その後9㎝・10㎝に
進んだ報告って・・
してもらったかなぁ!?
・・記憶にないんだよなぁ
(月日が経って忘れているのかもだけど)
2回目
いやね?
してもらってたら
もう少し
私自身も先を見通して
希望の力がわきながら
進めた気がするんだけど
その記憶があまりないのは・・
これに関しては
5年経っているからでは
ないと思うけどなぁ・・・!?
↑と、こんな軽い恨み節を
言いそうになるほどには
体の力を抜けないほどの
全力の波を数えきれないほど
乗り越え続けなければいけなかった
先の見通せない
最後の時間はキツかったんだ・・。
いやさすがに
8㎝と言われたあとも
強い波はだいぶ長くて多かったから
時間がけっこう経ったあとに
まだ8㎝のままだとは
思ってなかったし
最後の方は
助産師さん2人が見てくれながら
「赤ちゃんが少し下がった」
とか言ってくれてるから
もしかしてもう見えてるとか
見えてないにしても
助産師さんが介助しながら
触って分かるくらいには
すぐそこまで下りてきてるのかな
って気はしてたから
出産の近さは感じていたんだけど
私の主観としては
8㎝まで、非常にスローペースの
進み方を伝えられて
気が遠くなっていたので
9㎝になったよ、とか
子宮口全開だよあと少し!
とか
もし言ってもらえたら
励みになったかなって・・
(もしかしたら
私がすがりながら尋ねて
「今8~9㎝かな(予想)」って
言われるくらいの
やりとりはしたかもしれないけど)
まぁでもSさんも
まだベテランって感じではなかったし
そんな余裕もなかったのかな。
最後の方はずっと(毎回の波で)
私に下につきっきりで
見てくれてたし。
(そして本当に私の記憶違いの
可能性もあるし。いやでも
「全開です」の言葉をもし聞けてたら
それはすごく嬉しいし励みになるし
覚えてる&記録してる気がするんだよなぁ
↑しつこい笑)
ただこれらは後から振り返って
思ってたことであって
このときの私は当然
そんなことまでは考える余裕はなく
「発露です」と聞こえて
とにかくまず
ようやく感
を感じて
そして
嬉しくて感情に浸ったのも一瞬。
すぐに
「発露状態」の
自分の体感覚に圧倒されたというか
「うわぁパンパン、
パツパツ感すごい!」
と思いました。
はち切れそう
というのかな
その「きつさ」への驚き
こりゃ、会陰切れないとか
無理だわ(諦・悟)
って感じ!!
↑でも多くのママが
語っている通り
それまでのキツさと
既に受けている体ダメージが
大きすぎてどうでもいいというか
とにかく早く無事に済んでほしい
無事に産まれてくれればいい、
解放されたい
の気持ちが大きすぎて
「諦・悟」になる。
でもね、会陰切開については
私の場合、
「切開します」って言われる
ことはなかったし、
たぶん出産後に
縫ってもらうのはあったけど
(1人目のときとちょっと
記憶が混ざってしまって
曖昧だけど、1人目のときの方が
「痛い」ってなった記憶が強くて
2人目のときに
縫ってくれた医師さんの方が
上手かった気がする)
ひどく裂けてるとか
傷が大きいにはならなくて
幸い通常というか
比較的軽傷?で済んだ実感。
実際、1人目のときも今回も
私はどのくらい裂けて
どのくらい縫ったんだろう。
自分のお股なのに
見ず・詳細知らずで
2回とも終わっちゃったなぁ。
そんな余裕なかったんだけど
自分の体だし
鏡で見て、自分を労うのも
よかったな~と今なら思ったりします。
話を戻して
発露になったので、
次からは呼吸を「ハッハッ」にしてとの指示
続きはこちら。
次、産まれます!
このとき頭が挟まってた愛する我が息子が
もうこんなですよ