From-Ban 蛮殻 -4ページ目
翌日は、帰路につくために門司へ向かう予定だったのだが・・・。
当然、挨拶をさせていただきますよ、太宰府天満宮。
色々とお世話になりましたし、大宰府の参道は結構お気に入りの場所なので。
こちらを訪れると、毎回自己反省ばかりします。
勉強はもっとしなければいけない・勉強したことを生かせているのか当等。
今回の参拝は、とりわけその色が濃かったのは言うまでも無く。
それでも、何となく気合が入る場所でもあります。
こう考えると、不思議です。
多くのお寺や神社を廻り、漸くと福岡に入る。
名古屋以降、煌びやかな場所に久々に身をおいた感じだ。
確かに、幾つかの都市にも寄ったがたどり着くのが深夜・早朝出発で各都市の面白さを見ることが出来ていなかったことに一抹の後悔を感じていた。
無事に、兄弟から荷を受け取り安堵したのも後押しをしたのだろう。
福岡市内では、意外に大胆な行動に出ていたように思う。
その一端がこれ、
博多駅での一駒
博多の駅を歩いていると、台に乗ったお巡りさんが、
『 こんばんは~、お気をつけてお帰りくださ~い 』
と道行く人に声をかけておられました。
酔いも手伝い、聞いてみることに。
『 博多のおまわりさんは、すごく優しいのですね?いつもこうして声をかけられているのですか?』
防犯に一役買うそうで、頭が下がりました。
写真のお願いも快く聞いていただけたのも印象的。
色々と、不祥事云々言われておりますが、身近にこうしたお巡りさんもいることを再確認することに。
ところで、酔った原因は
こちら。
兄弟にしっかりとご馳走になったのは言うまでも無く・・・・、ご馳走様でした。
この気持ちが翌日にはあせりに変わることは、この時に知る由もなかったのだが・・・。
何故だか、神社周辺から木々が生い茂っているようにも思える。
天岩戸を隠すように生えているのではと考えてしまう。
本殿の前では、どうやら観光客の方々に、神社の方が色々と説明をしているようだ。
天岩神社の境内は谷に沿って長く延びている。
その中間あたりに、谷に突き出るように本殿が建っている。
その奥へ行くと、岩戸隠れにより闇に包まれた世を何とかしようと八百万の神が会議を開いたとされる、天安河原がある。
岩戸神社からしばらく歩き、河原へと近づく道を進むと天安河原だ。
何となく、少し寂しげな雰囲気もするが、何より結構な運動になる・・・。
神社とは本当に雰囲気が違うところにも驚かされた。
そうして車に戻る合間、天岩戸が見えないかとチラチラ横目で見てみたのだが・・・・・わからんよね・・・。
今度は、改めて高千穂をゆっくりと回ってみたいと切に思った。
因みに・・・・写真は高千穂峡での看板・・・。九州電力さん・・・面白すぎです。
高千穂峡から、天岩戸神社へと向かう道は険しいようで険しくないなんとも不思議な感じのする道だった。
温泉街のような町を抜け、その先へすると不意におかしな感覚に襲われる。
普通は車で山を登ると、木々が見え山の中に入ったと明らかにわかるのだが、この場に関してはそれが無い。
言葉にするのなら、山間の谷の上を走るような感覚に近い。
小さく連なった山の横を道が走り、木々でその視界がさえぎらず見通しの良い道とでも言えば良いだろうか。
それとも、九州の山道はこうなのだろうか?いや、阿蘇を走ったときの感覚とも違う、阿蘇は北海道に似た感じだったようにも思う。
是非1度訪れてみてほしいと思う道だ。
そんな感覚にも慣れてきた頃に不意に天岩戸神社が現れる。
バスも停まっていれば、車もほぼ満車。
何とか車を停めて、神社へと向かってゆく。
高千穂峡のボートを降り上から少し覗き込んでみる・・・・。
中々の・・・・高さ・・・・。
などとふざけて見たが、今日中には福岡入りをしたいところ。
そんな気持ちとは真逆に、高千穂には訪れてみたい場所が目白押しだ。
そんな中、天岩戸神社についても知ることとなる。
そう、誰しも1度は耳にしたことがあるだろうあの岩戸。
伊勢神宮に祀られている、天照大神がスサノオノミコトの行いを悲嘆し、岩戸に隠れたたために、世が闇に包まれたというあの神話。岩戸の前で祭りを行い、アメノウズメが踊り気になった天照大神が覗き込んだ隙に、アメノタヂカラオが岩戸を投げ飛ばし世に光が戻ったというあの話。
この話を聞くたび、日本神話の神様たちはとても身近に感じられるような事をしたとされている。
話が脱線しそうなので、
各地に天岩戸とされる場所はいくつかあるが、是非此処にも行ってみたい。
此処からは時間との勝負。
さて、そんな思いもしつつ車を走らせた。

