朱音論

  愛に気づかせてくれるひと


真の「愛情」を教えてくれたのは
禄存星ではなく、
貫索星と車騎星だったという話。



自己統合の愛は貫索星から学んだ

▶︎ 十大主星



禄存星
 日干(自分) が相手を抑えて出る星
 全員を引きつけたい本能


貫索星
 日干(自分) と同じ十干と和する星
 自分の平和を守りたい本能

車騎星
 日干(自分) を相手に捧げて出る星
 単刀直入に動きたい本能







たとえば自分が
本気でミュージシャンをしてるとして、


「ファンです」と100回言ってくるけど
ライブには一度も来ない人と、

「ファンです」も「好きです」も
自己アピールは言ってこないけど
必ずライブに来てくれる人がいたとしたら、

どちらを、自分に対して
実際の愛がある人と認識するでしょうか。

  






形ないものだけで納得できるほど
人間は無欲ではないし、

寒さに凍えている時には
あたたかい言葉よりも
マフラーを巻いてほしいものです。




人間は、わりと鈍感だし
勝手な思い込みが激しいから、

こちらが本気で想っていたとしても
体を動かしてアクションを見せなければ
本気度が伝わらなかったりします。





そうして人間は
「実際に分かる」ものに対して
愛着わいたり安心したり信用します。

「分からない」ものには
防衛的に拒絶したり疑ったりします。

だから人間社会では
時間なりお金なり体力なり
カタチを動かして示す行動は
信頼関係を紡ぐ初歩的なところ。





極端にたとえると…
禄存星の人と
愛の言葉を交わすのはたやすい。
こちらが好意を示せばいいので、
ロマンチックな気分にはさせてくれる。
しかし前提として
こちらが好意の反応を示せばの場合。


車騎星の人は
反応の見込みどうこうより先に
わたしが食べたいものを運んできてくれて
わたしが行きたい所へ連れていってくれて
わたしが困っていたら速攻で助けてくれて
時には厳しく叱ってくれたりもするから、
あわただしくて
ロマンチックな表現だけでは語り切れない。





わざわざ動いてくれる相手を見て、
自分は愛されているのかと単純に気づく。

わざわざ動いている自分を見て、
自分は愛しているのかと単純に気づく。






相手を自分に引きつけられるかどうか
条件付きで動かすのは、エゴの愛情。

( たびたび補っておくが、
  それも人間らしい魅力本能として
  禄存星は皆に優しい気前のよさがあり、
  ついで司禄星も献身的な優しさがあり、
  けなしているのでは決してない。)





損得ぬきの行動本能によって
身を張って尽くしながら
精神的な気持ちは
実質的な愛情のカタチとなる。


相手の中にある本気度が伝わってきたり、
自分の中にある本気度を自分で知れたりする。





怖くても実する、愛してるから。
挺してでも行う、愛してるから。
それ以上でも以下でもない。

変革なり復活なり
チャレンジとは、愛あるゆえに。