朱音論

  自己統合の愛を貫くひと


真の「愛情」を教えてくれたのは
禄存星ではなく、
貫索星と車騎星だったという話。





▶︎ 十大主星



禄存星
 日干(自分) が相手を抑えて出る星
 全員を引きつけたい本能


貫索星
 日干(自分) と同じ十干と和する星
 自分の平和を守りたい本能

車騎星
 日干(自分) を相手に捧げて出る星
 単刀直入に動きたい本能







周囲の人を引きつけたいという本能。
見返りありきの親切ぶりは
「好かれたい」「褒められたい」
「自分の言動によって喜ばれたい」
というような
承認欲求に裏打ちされているわけで、


愛されそう認められそうだから尽くす、
相手とのあいだに
自分のエゴを押し出す条件がともなう。


( それが打算的でどうのこうのではない。
  やはり禄存星には相応の魅力があり、
  算命学でいう5つの本能すべて
  人間が生きる為に必要な情動。 )




  



極端にいえば
相手からの見返りとかどうでもいい、
まず自分がどうかの、貫索星。


自分以外の反応を得るために
ペースを乱してまで媚びたりしない。
(基本したくない)


外側がどうあれ、状況がどうあれ、
自分が自分で在ることを基準とし、
自分が自分の価値を認めているのを
すっぴんの愛情とするならば、

周囲がどうあれ、状態がどうあれ、
自分の平和領域を守り通すその姿は
無条件の真なる愛情そのものではないかと。







人はまず、、人は結局、、
自分は自分でありたいと願うものです。





親が残念、家族が散り散り、
恋人が浮気性で…とか関係ない。




わたしはわたし


隣の人より稼げるようになったら、
いつかあの子みたいに上手くなったら、
好きなあの人に振り向いてもらえたら、
多くの人から賞賛を浴びてから…諸々、
そんな、対外的な縛りありきではなく。

いかなる状況においても
自分には存在価値があるという前提。




比べたり競ったりする手前での
平和な状態の、すっぴんの愛情は、
いつ・どこで・誰といても
「わたしはわたし」の軸で徹する本能。





日干(自分)と同じ十干と和する、
そんな貫索星から
自己統合が起こる意味を教えてもらった。



自分を置き去りにしないこと。

自分を置き去りにしたまま
相棒と統合しようなんてのは
見当違いというか、ムリがある。




すっぴんの愛情は
無条件ゆえ
媚びたり、協調したりという
器用な要領のよさはなく。

だから
不器用でこそ純愛
ともいえるかも知れない。







そしてそれから
損得ぬきにして行動で実する、
自分がやる、車騎星。



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