モダン演出の読替え | 小野弘晴のブログ

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先日の「道化師」の原作の設定は1865年頃の南イタリア・カラブリア地方のモンタルト村のはずれに公演に来た旅一座の物語。


先日の代々木上原ムジカーザ「道化師」公演での設定は2009年リーマンショック直後のウォール街に社を構える証券会社。


いわゆるモダン演出(現代演出)で行われました。

個人的にはモダン演出は苦手で、スコアに書いてある色々な事の読み替えはもちろん、感情的にも動機付けをどのようにするのか、そして試行錯誤してもやはりスムーズにいかない部分があります。


今回悩んだのは「劇中劇」の部分。そしてそれに動機付随しているアリア「衣装をつけろ」のラスト。


原作(本来の原作、というよりオペラ「道化師」ではという意)では、この地に「芝居/興行」をしに、つまり仕事をしに来たのであって、目的、更にはそこに生きる事がそこにあると思いますが、今回の設定ではこの劇中劇は「会社のパーティー」との事だったので困りました。


アリア「衣装をつけろ」は、たとえ今の自分がどうあれ「怒りも悲しみも隠し、道化芝居を演じて客を笑わせなければならない役者」という、ある意味では生き様が拒否をさせない概念・動機がありますが、今回の社内パーティーという設定だと、「そんなに心が打ちひしがれるほどなのであれば欠席、または最初の挨拶だけで失礼すればいいのでは」加えてパーティー内の余興であれば尚更「出席しなければならない」ことにはならないのではないかという思いが起きました。


このアリアの最後には嗚咽して泣きながら打ちひしがれる事が多く、前述の通り「道化師として、やり遂げなければならない」のであればの話。

それをどのように今回の設定に当てはめるのか、という事が今回最も悩んだ箇所でした。


色々考えたものの「打ちひしがれた状態であれば欠席すればいい」という考えを取り払うには、辛くとも自らその場にいかねばならないとカニオの気持ちを持っていく必要がありました。


余興で芝居をするのであれば、カニオやネッダ達はその内容を知っていたはず、練習や段取りをあらかじめ決めていたはず、という事を元にその余興芝居を使って本当の浮気相手を聞き出そうとする。

聴衆(今回の設定では社員)は芝居と思っているが、カニオは芝居のフリして最初から現実であるというもの。


いわゆる「芝居と現実の区別がつかなくなる」と表現されるこのシーン、今回は「芝居」ではなく「芝居しているフリ」に度重なる興奮が重なって激昂するという形を取りました。


自分が女性として成熟したと歌う妻ネッダ、その妻を見守るのではなく、厳しく管理していく夫カニオ。

この根底の部分は通常通りで行えましたが、それ以外に読替えの起きる全てのシーンにおいて記述すると長くなりそうなので本日はここまでにします。笑


*動画

衣装をつけろ



レオンカヴァッロ作曲

歌劇「道化師」より "衣装をつけろ"

Pagliacci "Vesti la giubba" 

youtu.be/8O7o69I8uuM @YouTubeより