もっとも過酷なスポーツというと、現在は誰もがトライアスロンを挙げるそうです。
しかし、トライアスロンよりももっと過酷なスポーツが、昔日本にはあったのです。
それが「三十三間堂通し矢」。
しかし、トライアスロンよりももっと過酷なスポーツが、昔日本にはあったのです。
それが「三十三間堂通し矢」。
江戸時代、京都で行われた三十三間堂通し矢は長さ66間、約120メートル
の彼方にある1丈(約3メートル)四方の的に矢を当てる競技。
天正の中期に始まったと言われるこの競技、
寛文9年には8000本という大記録が残っている。
の彼方にある1丈(約3メートル)四方の的に矢を当てる競技。
天正の中期に始まったと言われるこの競技、
寛文9年には8000本という大記録が残っている。
この競技の持ち時間は、夕刻から翌日の夕刻までの24時間。
食事やトイレなどの時間を抜くと、実際に使えるのは22時間ほどになる。
8000本の記録の場合、失敗した矢数を6000本として、
実際に射た数は14000本。これを時間で割ると、
1本の矢を平均6秒で射続けなければならない事に…
単に遠くに飛ばすなら弓の強さを強くして、
上に向け角度をつければいいのですが
ところが問題は、天井があるということです。
上に向けるにも限界があると言うことですね。
それほど強い矢を射ないといけないのであろう。
食事やトイレなどの時間を抜くと、実際に使えるのは22時間ほどになる。
8000本の記録の場合、失敗した矢数を6000本として、
実際に射た数は14000本。これを時間で割ると、
1本の矢を平均6秒で射続けなければならない事に…
単に遠くに飛ばすなら弓の強さを強くして、
上に向け角度をつければいいのですが
ところが問題は、天井があるということです。
上に向けるにも限界があると言うことですね。
それほど強い矢を射ないといけないのであろう。