「いいんじゃないの?オレはやらないが」でイイ! | 新労社 おりおりの記

「いいんじゃないの?オレはやらないが」でイイ!

当ブログをご訪問頂き、ありがとうございます。

 

○ 名南経営助成金セミナー

  「社労士事務所のための雇用関連助成金 令和6年度の助成金の改正点と

    「使える」助成金の実務・コンサル解説」はこちら

 

○ 中小企業福祉事業団DVD 

    「「事業内計画」から始める助成金改正情報

  ~2024年度の助成金の改正点と活用手法の要点詳解~」はこちら

 

○ ビズアップ総研 あらゆる業界、階層に求められるセミナー

    「人事労務担当者が今知っておくべき! 2024年労働関係法改正・助成金活用セミナー 

      ~企業と会計・社労士事務所の新労務戦略~」はこちら

 

○ 助成金の無料診断、最新状況はこちら

○ メルマガ「新労社が贈る、人事のツボ!」(無料)はこちら

========================================================

 

「三位一体労働市場改革」の助成金では、労働市場の改革(要は年功序列、終身雇用の打破)の手段として、教育訓練や賃金UP、労働移動以外に、多様性の尊重が挙げられています(これで四位一体になった)なぜ挙げられたかというと、実にムツカシイ課題で、しかもその克服は喫緊だからです。

 

大きく言うと世界で欧米の価値観を修正するアジアの価値観、イスラムの価値観、アフリカの価値観などの尊重なくしては経済・社会が回らない時代はもうそこまで来ています。

 

ただ人間は、ホモ・サピエンスになった原始時代から異様なモノを排除して食物を確保し、安全を守り、戦争をしてきたのですから、異民族、異国人「容姿性格が変わった人」に至るまで差別・迫害・民族虐殺など、ムリもない歴史があります。

 

多様性はいうほど尊重するのはカンタンではない。ではどう尊重するべきでしょうか。

 

現在はそのムリもないことを昇華しようとする時代です。オトコのような体形なのだが、ココロは女性とか、障害者や重病人でも働く機会を、社会での居場所を創ろうという気運です。

 

政治家や管理職のみならず、そういうコトをみんなが受け入れなければならないようになってきているのです。その弊害が「小役人化」ですね。小さい違いを認めなければならないから、かえって小さい違いが気になってケンカの原因になるのです。

 

あなたの『小役人度』チェック!

 

その受け入れる態度としては民族差別の時代であれば「どうしても黒人はイヤだ」とか「アジア人はイヤだ」「ユダヤ人はみんな金儲けしている」などと間違ったことを主張するのは、個人としてはしょうがないと言えばしょうがないのです。最後までDX化できないものは人間の差別心とか怠け心、悪意や嫉妬心などです。

 

いっそのこと欠陥のある人間を全部滅ぼして、永遠に生きる理想的なコンピューターだけの世界にすれば、いい世の中になるという妄念も浮かぼうというもの。しかしそれはナンセンスです。なぜ人間社会がそれでも持っているか、それは生物だからです。エジプトのスフィンクス、奈良の大仏でも1,000年以上持っていますが、所詮はモノで偶像でしかありません。

 

民主国家の中で天皇陛下がなぜ特別扱いか?政治権能を持たない象徴か?人間だから、生きているから、歴史的な価値がある機関だから象徴なのです。聖書でもありますねえ。偶像崇拝に金の子牛を作った愚かさが描かれています。

 

人間、ヒトがやるモノづくりに頼ることはできても、モノそのものに心まで預けて一生送るわけに行かないのです。仏像だって多くはヒト型でしょう。人間たるものヒトからは離れられないのです。

 

では違った人間、ちがった態度、ちがった民族ちがった国をどう理解するのか?ここで表題の・・・

 

〇 いいんじゃないの?オレはやらないが。

 

という態度です。別に異なった宗教だからそれを信じろというのでもないし、男ですが女になれと強制されるのでもない。イスラム教、キリスト教、それもあるけどオレは神道だ、ただ他の宗教も迫害はしないよ、女のココロで男、女も男も両方、という態度はオレはやらないが、多様性として認めるよ、おれはクルド人ではないが、日本の法律に照らした犯罪を犯さないクルド人は認めるよ、というものです。フランスの啓蒙思想家ヴォルテールの言葉が思い出されます。

 

〇 私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。

 

ただ何とか教を信じるから、他の宗教をいじめるのは良くないし、女の心を持つから男のナリをして女性トイレに入っていいということにはならない、外国人だから一緒くたにかわいそうだから援助するのはおかしいでしょ?そこは是々非々です。ただ基本は自分がやらないし関心を持たないことでも、とりあえずは認める、という行き方です。

 

その本質は「無関心の関心」です。一家団欒でも、ダンナに奥さんに、息子に娘に、孫にジジババに、温かいけれどもそれぞれの多様性を尊重し、妙なパワハラ的な、イヤなことをあまり言わないのと同じことです。