おっとどっこい日本海 | アイドル関連の懸賞とラジオに生きる。やぱにらいねんの「今日の戯言」

アイドル関連の懸賞とラジオに生きる。やぱにらいねんの「今日の戯言」

テキトーに書いてます。
半在宅ヲタのアイドル懸賞活動日記。
これを読めば、あなたも当選するようになるかも!?

ボンジョルノ!


サカつくをやる時は、


必ず「プルサーマル敦賀」というチームでプレイする、


やぱにらいねんでございます。


さて、当ブログはSKE48青海ひな乃さんと、STU48吉崎凜子さんを猛烈に推しているのに、箸にも棒にもかからない「行けない・できない・情けない」ブログになので、懸賞とラジオに生きるブログです。

が!この週末はヲタ活一切なし!

敦賀へ行って参りました!(三重県津市から)
※写真は敦賀赤レンガ倉庫

長女が金曜に中学を卒業したのですが、コロナのせいで修学旅行で大した所に行けなかったので、

奥様様と卒業旅行に行っちゃいまして、また二女も泊まるホテルが小学生以下は添い寝扱いで無料となることから同行し、

当ブログが1人で留守番…………というか都会では各グループが様々な催しをしていましたが、生憎1人になれるのが判明したのが、全て締め切り後でした(ToT)

1人で家にいるのもやるせないのでお出掛けしました♪

まずは、滋賀県長浜市木之本町、
サラダパンでお馴染み「つるやパン」。
駐車場は店舗まで徒歩5分くらいの工場そば、「まるい食パンラスク」のコンテナが目印。

てくてく歩いて、
お店に到着。

「サラダパン」ほか、美味しそうな「まるい食パン」などを所望しました。

また、
キーホルダーや、

Tシャツなどのグッズも購入!

そして、一路敦賀へ!

敦賀ヨーロッパ軒本店にお邪魔しました!

いただいたのは「ミックス丼」!
カツとメンチカツが乗ってます、んまい!
(*´ω`*)

次に訪れたのは、
「敦賀市立博物館」と「みなとつるが山車(やま)会館」

博物館の建物は、明治時代に建てられた旧大和田銀行本店のものらしいです。いかにも、あの頃の銀行ですね。

銀行?大和田?
大和田常務!?

………ではなく、
こちらの大和田伸也さん大和田獏さん兄弟ですね。お2人とも敦賀市の出身というか、大和田銀行の一族らしいです。

博物館で敦賀の基礎知識を学びましたよ。

日本海側で初めて鉄道が通った街で、かつてはヨーロッパへの出発地点だったんです。

ウラジオストクからシベリア鉄道でヨーロッパへ行くルートね。「敦賀発パリ行き」だったのよ。

ウラジオといえば、こんなのがありましたね。

ヨーロッパから日本に来る人は、まず敦賀に着くというように、交通の要衝だったということで、

今は昔な話なのですが、当時は大都会だったということですね。都会とはちょっと違うか。

豊田育ちとしましては、展示物の中に昔の鉄道地図があって、豊田にまだ鉄道がなかった頃だったのですが、それでも主要都市は鉄道がなくても示されていたのですよ。

豊田付近で示されていたのが、
なんと「足助」!Σ( ゚Д゚)

昔は挙母(ころも・豊田の旧地名)より足助の方が大きかったということが分かりビックリしました。

次に隣の山車会館に行きました。

当ブログの父親は神職をしているのですが、「その街の水準は神社と祭りを見れば分かる」と常々言っていまして、

つまり、
敦賀の「敦賀まつり」は賑わいも山車もすごい!

ということが分かるのです。

さらに、
神社のお祭りですから、当然日にちが決まっておりまして、土日にやる商業的なお祭りとは違いますよね。

だから、敦賀は立派よ。

とても、人口6万人の街の祭りじゃないですもん。


シアターでムービーも上演されていましたが、ナレーションが大和田獏さんでした。


次は、

旧敦賀港駅のランプ小屋です。

中に入ると、
ランプでした。

続いて、
「敦賀赤レンガ倉庫」にお邪魔しました。
レンガの建物はハイカラね。

中は、オサレなカフェとかもありました。
※行ってない

昔の敦賀の街並みを再現したジオラマは圧巻!

そして、
なぜか、リカちゃんコーナー。

赤レンガ限定リカちゃん。

で、何やらSNS投稿キャンペーンみたいなのをやっていて、リカちゃんの展示と指定のハッシュタグをつけて投稿すると、
こんな感じで。

リカちゃんのポストカードとステッカーをいただきましたが、単身でおっさんがもらいに行くのは…………別に平気ですわ←

娘2人の親父ですもん!(`・ω´・)V

次に訪れたのは、
「人道の港 敦賀ムゼウム」です。


敦賀が人道的物語の舞台になっていた話を知ることができます。

杉原千畝の命のビザなら、大体の話は知っていましたが、ポーランド孤児の話はお恥ずかしながら知りませんでした。


ロシアに支配されていたポーランドで民衆が蜂起したが制圧されシベリア送りになり、家族と離れ離れになって子どもたちが残されてしまったという話。

その子どもたちを救うために、日本が一役買ったわけですが、まず訪れたのが敦賀であります。

ユダヤ難民もまた最初に到着したのは敦賀でした。彼らに敦賀の人たちがいかに手を差しのべたかが分かりました。これが日本全体の印象に関わるわけですからね。

ウラジオストクから敦賀ね。
※これは赤レンガのジオラマのウラジオ

でも、これらの展示を見て思うのは、

「日本は酷い国だ」とディスカウントする手合いがいますが、


どう考えても、日本人が非人道的な振る舞いをしていたとは思えないのですよ。


また、ポーランド孤児はロシア支配下にあり蜂起し抑えられ捕らえられた「愛国者」の子どもたちと表現されていて、


「愛国心」の何たるかを感じることができました。


また、館内には見学に訪れた児童や生徒の感想が書かれた手紙も掲げられていて、


それを読むと、若い子たちにもちゃんと伝わっていることが確認できてほっとします。


改めて日本人である誇りを持つことができました。日本も捨てたもんじゃありません。


あと、こちらのシアターではナレーションが大和田伸也さんでした。

大和田兄弟あっての敦賀であります。

続いては旧敦賀港駅を再現した「敦賀鉄道資料館」。

博物館でも展示がありましたが、改めて「欧亜国際連絡列車」の資料が見られました。

敦賀がいかに重要な場所だったかが分かりましたよ。
※今で言うところの羽田空港的存在だよね

概ね17時で大体の施設は閉館するので、それ以降は、
気比の松原に寄り、
※強風で傘がダメになりました。

強風でマスクまで飛ばされそうになる立石岬の手前の立石漁港付近を経由して……
※まさに哀しみ本線日本海

ちなみに、冒頭に書いた「サカつく」で作るエディット選手は「白木もんじゅ」です。

白木海水浴場でもんじゅを拝み、
※原発のPR館には間に合わなかったので、次回は原発から行きます

「一力」さんでチャーシューワンタン麺をいただいて、

敦賀を後にしました。


以上薄っぺらいことしか書いていませんが、敦賀の港町を満喫させていただきました。


帰りの道中で一旦車を停め、40分間くらい「SKE48♡1+1+1は3じゃないよ!」のメールを書いて送ったのですが、


やはり!マーフィーの法則というか、

「推しの出る回は読まれない」を発揮してしまいました(´д`|||)


やぱにらいねんでした。

J(Θ_Θ)L


グラッツェ!チャオ!