アメリカの草創期のAAメンバーは「ビッグブック」一冊に示してある12ステップを宝物のように、それをパスしてくれた
スポンサーシップとの関係をとても大切にし、重要視し、家族ぐるみでつきあい、その友情を超えた人と人との深い絆は互いが、この世を去るまで続くメンバーが多数いるとアメリカ・カナダの常任理事やGSO所長にも聞いた。
同様にAAミーティングでは、自分が今取り組んでいるステップを始める前と後、こんなふうに変わった。
かつて飲んだくれてた頃には想像もできなかったよ。という話をミーティングで
共感しあった。怒り、悲しみはスポンサーが聞いた。スポンサーシップには解決があるからだ。
僕のいたグループもそうなりはじめていた。グループメンバーのほとんどはスポンサーを持ち、
12ステップに取り組んでいた。一番ロングソーバーでサービス経験のあった僕は
いろんな側面で質問され、解決を求められた。しかし、それはこのグループの問題だから
僕の経験は話すが、結論はみんなで決めよう。
一番多いときでグループメンバーは30人を超えていたと思う。
2か所にミーティングをもち、春や夏には「仲間の会」と称して
ビジネスで積み残した議題を話し合い、サービスの勉強会と昼食会をした。
「仲間の会」はアメリカにならって昼食はポットラックスタイルで行った。
ひとり一人が、もう一人の食べ物を持ち寄って行う。盛大なハイキングみたいだった。
年末には「恒例:牛しゃぶ大会があり、グループ外から多数参加し、
酒の飲まない、しゃぶしゃぶ忘年会は店側にとっては「酒池肉林」だろう。
毎回、大笑いした。もう、だしとは言えない沼の中で泳ぐ、しゃぶしゃぶをみんな喰っていた。
僕らのグループを悪く言うグループや個人が結構いるのは知っていた。
地元だけでなく他の地域にもいると聞いた。
なぜなら、僕らは多くのグループがしていた旧態然としたことは一切しないで、
AA書籍には書いてあるようなメンバーシップを大事にしたからだ。
他のグループは決してやらないイベントばかりだったからだ。
そのうちに、ほころびが出てきた。
旧態然としたグループメンバーとうまくやることを選択した人は抜けていった。
あるグループメンバーが会場係をしていてミーティング場のカギが一本しかなく、
自分が行かないとミーティングが開けないことで、苦しんでいると聞き
僕はすぐさま教会に連絡をとり、その日のうちにミーティングを閉鎖した。
会場にいける人は閉鎖告知するためにミーティングに行ってくれと連絡した。
その時グループチェアパーソンを臨時でしていた僕はビジネスが1か月後になることを考え、
彼女のソブラエティを守るためにビジネスを飛ばしてグループチェアの権利で決めた。
全体の福利が個人を優先する。。。。を実践した。
のちに喧嘩腰で詰め寄るメンバーもいたが翌週、グループメンバーに事の経緯を説明した。
ただし、カギを1本しかもっていなかったメンバーは僕を恨みながらグループを抜けた。
ある意味、正しい、しかし周りと一緒にやることを考えると間違いもある。
こうして、徐々にメンバーが減った。
正しい事をやり続けることが決して正しいとは限らない。
先進的なグループが正しいグループ活動をすることにより、
周りに刺激を与えているのは見ていてわかった。
あいまいでもいいグループが良かった人も、そんなグループに行った。
そうしてビッグビック、12ステップの実践、さまざまなグループ活動、メッセージ、そこから
少しずつ離れていった。
全員がそうでは、なかったが、旧態然としている、あいまいなAAに安心感を求めた人もいた。
残ったメンバーは、そうならなかったが、誰も手助けしなくなったのだ。
それが、グループ衰退、絶滅の原因だ。
グループは解散した。跡形もなく。
かっての僕だ。
性懲りもなく1週も空けずに、全く別のグループがミーティングを引き継ぐように開催した。
二度行ってみた。
そこは、もはやAAはなく、安酒場の片隅でたむろしている愚痴の集まりだった。
神も、12ステップも、ビッグブックも、まして解決もない、なにもない。吐き気がした。
僕は吐きそうになって途中退席した。