3・11と3.12 | フリージング・レイン~猫と娘、ときどきクリーン&ソーバー~

フリージング・レイン~猫と娘、ときどきクリーン&ソーバー~

アルコール依存症、薬物依存症のクロスアディクト
ブログ記事には摂食障害などアディクションいろいろ。
成長した娘と愛猫二匹のブログでもあります。

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僕の過去ブログに3月11日の記事はない。その前後に、ウツで苦しんでいたことや

先代猫のことの記事はあるが東日本大震災の記載どこにない。

当時の手帳にも、そのことに関するメモも何もない。

12年前のことなので、なぜかの記憶はないが

 

頭の中に、明確にこびりつき、はがれないモノが残っている。

東日本大震災は当時、勤務していた会社を

3月1日から強引に自宅療養させられて10日後だった。

 

2011年(平成23年)3月11日14時46分

 

軽い昼食を食べたら、僕の地域でも、震度3強の揺れを感じた。

「どこの地震?」と付けていたテレビが衝撃的なニュースを流した。

 

東北地方を中心にマグニチュード9.0の

観測史上最大の地震と告げていた。

 

その地域には、僕の大切な友人たちが住んでいる。

そして今も、僕にとってとても大切な恋人(ひと)が住んでいる。

 

全身の毛が総毛立ち、すぐさま携帯で電話した。

「お願いだから、無事でいて。神様、お願いだから」

そう言いながらの電話だった。

 

彼女は電話に出た。

建物や周辺の被害は分からないが「私は無事」だと。

 

それから僕は3月11日14時46分から一睡もせず、翌日12日までに

次々と起こる災害と原発事故、政府のバカな対応を観続けた。

よく見た光景、よく行った場所が津波で押し寄せるのを観ていると

自分のウツよりも、その恐怖で心がざわついた。

 

あの日3月11日から12日にかけて、僕は彼女の無事と街の無事を

友人たちの無事を祈り続けた。

 

彼女につながった一本の電話以後は誰にもつながらなかった。

 

あの日、僕は何の記録も感覚の記述も残せないほどに脳が乱れていた。

彼女は無事だった。

それだけで、部屋にへたり込んだ。

一生、忘れない3.11。

さらなる復興と再生を。