昨日はフィンランドの教育制度を紹介しました。
ちなみにジェンダーフリーが日本よりも遥かに進んでいるフィンランドでは
男性も女性も17時になったらみんな家に帰るそうで、
子供の迎えがある場合は、男性も16時に会社を出ることも
当たり前だそうです。
男性も子供の送り迎えをするし食事も作るそうで、
女性も働く時間を短くする必要はない。
今の日本とは大きく違うポイントですね。
ちなみにフィンランド人の多くは夏に5週間ほど休みを取るそうで、
法律で2週間以上連休を取ることが義務付けられているそうです。
羨ましいかぎりですね・・・笑
で、今日のテーマなんですが、
これも僕が日本の教育について感じていることです。
結論から言います。
日本の教育って、「答えのない」問題を避けてるんです。
???
って感じですよね。笑
順を追って説明しますね。
まず思い出してみてください。
Q1. 歴史の問題です。
「1192年 ○○○○設立」
これはもうお決まりですね・・・
じゃあみんなで行きますよ・・・ せーの!
・・・
とかやってると長くなっちゃうので割愛しますね。笑
(ちなみに最近では、鎌倉幕府は1185年誕生説も出てきていて、
論争中だそうです。)
Q2. 続いて数学の問題です。
1+2+3+4+・・・+97+98+99+100 =??
次はちょっと頭を使わないとめんどくさくなる計算ですね。
これは半分に分けて片方を逆さにしてガチャン!とくっつけると
答えは101×50=5050になります。
これも詳しい説明は割愛しますね。笑
他にも僕らが習ってきたことを思い出してほしいんですけど、
必ず「問題→解き方→答え」みたいなかんじで、習ってると思うんですね。
Q3. じゃあちょっと次は話題を変えます。
「尊厳死についてあなたはどう思いますか?」
尊厳死の問題は、実際ちょっと前に
国会の議題に珍しく上がってましたが、
こういった問題、今まで学校で教わりましたか?
たぶん言葉としては教わってはいるけど、
そういった問題を実際に考えるという機会はあまりなかったと思います。
Q4. 最後の問題です。
「人生とは何でしょうか?」「死とは何でしょうか?」
これ、教わりましたか?
誰もが一度は真剣に考えたことがある問題だと思いますが、
たぶん学校では教えてくれなかったと思います。
そうなんです。
もうお気づきだと思いますが、
前半は「答えのある問題」、後半は「答えのない問題」です。
日本の教育で僕らが教わってきたのは、
「答えのある問題」だけなんですよね。
なぜ「答えのない問題」を避けるかっていうと、
これは完全に僕の予想ですが、
定義が難しい「死」とか「人生」とかいうことをテーマにしちゃうと、
周りから「教え方が偏ってる」だのいろいろなクレームが来るから
話題にしにくい(タブー視されてる)んじゃないかなって思います。
まぁその理由はともかく
「答えのない問題」を考える機会が絶対的に少ないのは事実です。
もう既に用意された答えと照らし合わせて
同じなら○、違うなら×というスタンス。
そういう環境下で育つと、
「既にある答えの中から探す」
というような思考回路になり、あまり自分で考えなくなるんですよね。
ただ・・・
よく考えてみてください。
世の中、「答えのない問題」だらけなんです。
先に上げた「死」についても「人生」についてもそう。
(特にこういうテーマは一生向きあっていかないといけないですよね)
「恋愛」についてもそう。(恋愛に正しい答えなんてないじゃないですか!笑)
「政治」についてもそう。(100%正しい政策なんて分かりませんよね)
政治については、この前アメリカのオバマ大統領の再選選挙のときに、
日本人とアメリカ人の意識の差を感じる印象的なテレビ番組を見ました。
何かっていうと、「ニュース0」の番組の特集だったんですが、
嵐の櫻井くんが現地に出向いて、現地の何人かの中学生くらいの子に
選挙に対しての意見を聞いていたんですね。
その子達はまだ15歳くらいなのに、
「私はオバマに反対です。民主党は~だから~だと思います。」
みたいなかんじで、政治に対してしっかりした意見を持ってたんですよね。
これを見たとき本当に驚きました。
やっぱりアメリカでは家庭や学校でそういった政治の問題を
話し合う機会がちゃんとあるんだなと。
日本ではそういう機会ってほぼ0ですよね。
政治のことに関してもだけど、
日本では「答えのない問題」を考える機会って多くはないですよね。
「既にある答えを探す」だけで、
「自分で考える」「自分で生み出す」ということをしないと、
「誰かの真似をするだけの人生」
になってしまいます。
以前の僕がそうであったように。
「人生に正しい答えなんてない。」
自分で考え、自分で選択し、自分で進む道が、正しい答えになっていく
そんなふうに思います。