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「壁」を超える人達のブログ

人見知りで中途半端でダメ人間だった自分が、それらの「壁」を乗り越えきた過去の経験と、今思うことを自由に書き綴るブログ。

昨日で震災からちょうど2年経ちましたね。

あの時の事を昨日はいろいろ思い出していました。


「震災の時、現地にいました」という話をすると、優しい心を持った方々から

「大変だったね」とか「辛かったね」とか


気を遣った言葉をいただくんですが、僕個人としては、

僕の住んでた場所が大きな被害を受けたわけでもなく、

僕の周りの人が亡くなるということも幸いありませんでした。


だから正直なところ、皆さんからいただく言葉のような辛さを

実際経験したわけでもありません。


ただ、実際に津波で流された場所に行き、

その時のリアルな現状を見たり、

友人の友人で家族を亡くされた方の話も聞きました。


そして、その時リアルに感じた気持ちは

いまの僕の生きる指針になっています。




被災生活の事をいろいろ思い出す中で、

当時の僕がとても感動したエピソードを思い出しました。


それは友人がとったある行動だったんですが、

今日はそれについて書こうと思います。




その友人とは、当時勤めていた会社の後輩で、

Mさんという人のことです。


彼は後輩だけど歳は僕より4つ上。

大学卒業後、Working Holidayを使ってずっと海外を転々としていた

という変わった経歴を持つ人でした。


とてもフランクな性格で大のお酒好き、

酔うといつも質の悪いおっさんになり、

周りの女性は本気でひくのでした。笑






3.11 大きな地震が東北を襲いました。


地震の日、僕とMさんは一緒に行動していて、

地震発生後は大渋滞。僕らは車で会社まで戻ろうとしていました。

僕は運転とラジオのニュースに気を張り巡らせ

いろいろ心配していたんですが、


Mさんはというと、助手席で横になり余裕の顔で


「いやー今日夜お酒飲めますかねー^^

 たしか冷蔵庫にワイン入ってたなー^^」


と・・・。




「お前・・・どんだけ能天気やねん!!!」


と、ちょっとイラっときた僕ですが、

タイヤがパンクした車を慎重に運転し、

5時間かけて無事に会社までみんな戻ることができました。




地震の発生時から、ライフラインである電気もガスも水道もストップ。

次いつ来るか分からない余震に備えて、

みんなもっと安全な場所に避難しようとしていました。


学校や県庁などの公共施設や公共のビルの避難場所には

家を出てきた多くの人たちが集まっていました。


僕の会社の人達も地元出身の人が少なかったので、

みんなで集まり、水や食料を寄せ集め、

みんなで避難場所に移動しました。


そこは仙台で半年前に完成した一番大きなビルで、

地震が来ても絶対に安全な場所でした。


安全な場所ということで、あっという間に人々が集まり

、ビルの上のフロアはいっぱいに。

ビルの関係者側もこれはマズイと思ったのか、

入場制限をするようになりました。


警備員たちがエントランスのドアを閉め、

「もうこれ以上は入場できませんので!」と。


そしてビルの周りには、ビルの中に入りたい人たちで溢れていました。

3月の仙台の夜。外は寒かったです。




僕ら会社の人たちは運良く、早めにビルに入っていたので、

入場制限にはかかりませんでした。


Mさんはみんなとは別行動をとっていて

自分の母親の様子を見に行ったりしてましたが、


そのあと連絡がとれて、僕らがいるビルに一度顔を見せに来る

ということになりました。

そして僕はビルの下まで降りて、Mさんを迎えに行くことに。




ちょうど僕が1Fまで降りたとき、エントランスで3人の警備員と

ある家族がもめていました。


その家族というのは父親はイタリア人、母親は日本人で、

ベビーカーに乗ったわずか3歳なる前くらいの女の子を

引き連れていました。


ビルの中に入れてくれない警備員に対して、

その両親が抗議をしていたのです。


警備員たちも一人を特別に入場させてしまうと、

外にいる全員を入場させないといけなくなるために必死だったのでしょう。


警備員たちの変わらない態度に、

その両親も半ば諦めかけている状況でした。


周りにいる人たちもただその光景を見ているだけでした。


ちょうどそのとき、後ろの人たちの中から

Mさんがいきなり前に出てきました。

そしてもの凄い勢いで、3人の警備員たちに抗議し始めたのです。


「子供いるんだよ!3人くらい入れてあげなよー!」

「いいいじゃないのー!子供小さいんだよー!」


というように。

3人の警備員達も自分の使命を全うするために必死です。


「いや、分かりますけど、入場制限があるので、

 これ以上は入れないんです!」


「ご理解ください!!」


と、警備員。


Mさんはそれでも全く退かずに


「あんた子供いる?」

「だったら分かるだろ!入れてあげな!」


と、Mさん。




こんなやり取りが5分くらい続き、最終的には


警 「建物に入る人数が今っいっぱいなので・・・」


M 「じゃあオレが出るから入れてやってよ。」

  「おれ上に荷物置いてるんだけど、今からこのビルもう出るからさ。

   それだったらいいでしょ!」


警 「あんたそれでいいのか?一回出るともうこのビルには入れないよ。」


M 「いいよ。じゃあオレと交換でこの人たち入れてあげてね。」




という具合で、結局その家族は入れてもらいました。


彼らはビルの中の暖かいフロアで、小さな女の子のおもりをしながら

数日間過ごしていたと思います。



もちろんMさんはもともとそのビルにいなかったので、

最後の言葉はハッタリでした。


でも、もし最初からビルにいたとしても、

おそらくMさんは同じ行動をとっていたと思います。


当たり前のように。




彼はそんな人です。




彼の行動をビルの中から見ていた僕は、

少し自分が恥ずかしい気持ちになりました。

たぶん、警備員の人も、後ろで見ていた人も、

同じ気持ちになったんじゃないかと思います。


みんな自分の事に必死だったから。


彼のような器の大きな人間になりたいと、その時思いました。






「人は究極的な状況に置かれたときに、その人の本質が表れる」




究極的な状況に置かれた時に、

自分が何を大切にしているかハッキリ分かります。

普段はできることが、意外とその時できなかったりします。


キレイな花を咲かせているかではなく、

いかに自分の根を深く下ろしているかどうか。


大切な所はいつも目に見えない部分ですね。