たっくのブログ -770ページ目

食べるという欲求

人間にとどまらず生物全体に必要なことは食べるということ。

特に私たち人間は食べるということについて多くの研究をしてきた。研究熱心な人たちがたどり着いた世界が今現実にある食文化につながっている。


日本だけではない話。世界中で様々な料理が存在する。日々何千ものレシピが生まれ、人々の口の中に入っていき、体中の細胞が喜び湧き上がり次なる欲求へと向かっていく。

毎日美味しいものを食す中、舌がこえてきた人たちもいる。それだけでは満足にいたらずまた別の味を追い求めていく。いわばドラックと同様。食べるという欲求はなくなることはない。肉体が生きているかぎり。




今いるお店の真向かいに牛丼チェーン店がある。24時間営業に加えて牛丼が300円から400円くらいの値段でお気軽に食べられる大人気店だ。

こんなに一軒のお店を長い時間見ることは普段の生活からしてめったにないことだろう。きっとこの会社の社長よりも知っていることがたくさんある気がする。


お店には老若男女問わず時間帯問わずカップル、家族、一人者様々な人たちがひっきりなしに出入りし、入るときと同じ表情で出てくる。

たいした変化はない。きっとおなかはいっぱいなんだろうと思う。


どうして?最高の欲求が満たされた後なのに、表情は変わらないんだろう?



あくまでも、便利さを追求してできたお店だと私は思う。もちろんそれだけではお客さんは満足しないから、味も何度の試行錯誤を繰り返し、今の味が生まれた。


そのレシピは世界中にまかれ、どこでもどんなときも同じ味を食べることができるという発想。向かいのチェーン店だけではなく日本中に同じ発想をもったお店が何件も存在する。

今も増え続ける。

われわれ消費者も同じ発想。失敗しない。安心の味。知っている。ということから、そういったお店をよく利用する。


結果まだまだ増え続ける。


舌がこえる。はずはない。


舌はしびれる。


食べるとき頭の意識が先行し、味を想定する。同じ味という安堵感に包まれながら食べ続ける。この状態でそこの微妙な変化に気づくことはほぼ無いと言えるだろう。


しかし、何もわからない状態で食べるとどうだろう?


視覚、聴覚、嗅覚、味覚など様々な感覚を研ぎ澄まし、そのご飯と対面する。


実はわれわれ人間の欲求はそこにあると私は考える。


未知の領域との対面

自らの欲求と感覚が交わり、体中の意識はそこに向かい。細胞たちの宴が始まる。


よって、世界中には毎日何千ものレシピが生まれていく。これが現状。



作り手(シェフ)にはいろいろな人がいる。十人十色の味覚を持ち、本当に美味しいと思う料理を自信をもって提供するシェフも多いだろう。

いわば「プロフェッショナル」という存在で多くの人たちが賛同し、彼らの作る料理につばをのむ。大繁盛するお店もたくさんあり、先ほど話に出たチェーン店とはまた違った意味合いでお客さんが集まる。

本当に欲求とはすごいもので、欲の塊ともいえる人種たちがむさぼるように、目の前の皿をなめまわす。


毎日のように、欲求を満たすものもいれば、一方で関心が薄いものもいたりして、そこがまた人間の面白いところだったりもする。

決して食べないわけではないが・・・



これらの文章はすべて持論であり、すべてがそうだという断言できる根拠は何も無い。自らが経験し感じてきた一部。

次回の料理(テーマ)は私が作る料理についてを書きたいと思う。


                                   つづく