これって、毎日コツコツ1歩進んでいるくらいでも、結果は3日で1歩進んでいるって解釈してみました。
毎日1歩、頑張っているのに、実感はなかなか進んでいないって気づいちゃったのかな?
でもね、結果は3日で1歩かも知れないけど、ちゃんと、歩いていれば、前に進んでいるって事だよね。
~汗かきベソかき歩こうよ--走らないで歩けぇ---ワンツーワンツー~♪ って続きますよね。
周りやテレビやイロイロな情報に、焦って走っていたり、走らないとって思ってませんか?
自分を好きになること。
自分自身を信頼すること。
自分に自信がつく事には、テクニックや知識はいらないです。
特にマスコミやテレビの情報はネガティブなものが多いですから、情報に惑わされないように、自分らしく居るために、情報を遮断しましょう。
必要な情報は入って来るものです。その事は、私がアメブロでブログを書くことになったきっかけの人がこちらの記事で書いてくれています⇒●【追記あり!】必要な情報は入ってくるという、一見ゆるいお話?
誰もが、繰り返しの中で前に進んでいます。
毎日、朝が来て、起きて、顔を洗って、朝食をとって、ラッシュに揉まれて、疲れて出勤して……
ちょっと待って!!
本当に同じ事の繰り返しですか?
ネズミの走り車のように、進んでいないのでしょうか?
否です。同じところをぐるぐる回っていたとしても、あなたが居るのは、螺旋階段なんです。だから、登っているにせよ、降りているにせよ、進んでいます。
そして、自分探し(本来敢えて探す必要はないのですが)、自分の体感を信頼すること。五感を研ぎ澄ませて、余計な情報や意見は一度保留にして、直感を磨いて、それに従ってみることが、自分らしく自然な姿勢で、楽なのではないでしょうか。
自分の体感を信じる。って意識しなくても、誰もが出来る事なんです。
お腹が空いた。
眠たい。
疲れた。
体が痛い。
このような体の欲求にどのように対処すれば良いかワカラナイ人は余り居ないでしょう。素直に従うのが良いのです。
もちろん、抗う事も、先送りすることも出来ますし、そうしないと困ることもあります。
でも、いつまでも先延ばしをしていたら、なんらかの体の変調をもたらすのは明らかです。
ところが、例外があります
例えば
1)頭が痛い。
2)ストレスが溜まっている
などです。
それは、言葉の意味が曖昧で、五感から来るストレートな直感ではないと言うことなのです。
自分を知る、信じるには曖昧な言葉で自分を騙すのを辞めないとダメです。
1)は、体調としての頭痛なのか?困った状況に対して言っているのか、分けてみましょう。
その上で、頭痛には多様な原因があります。
肩凝り、疲れ目、不自然な姿勢の癖、集中し過ぎ、生理に伴うもの、緊張……さて、どれでしょうか? 科学的(西洋医学的)に原因を追求するのではなく、自分の生活や体や習慣や癖に聞いてみてください。
余裕があるなら、西洋医学的な対処療法ではなくて(痛いから痛み止めは、原因を取り除く対応ではありません。もちろん必要ないわけではなく、症状の緩和により、自己回復能力が活性する事はあります)、東洋医学的なバランスと習慣を変える事が有用でしょう。
2)ストレスがある。は実に便利に自分自身を騙す言葉です。
つまり、ストレスがあるというのは、不都合な現実を否定しているという事です。だから歪みが出てイライラしたり、落ち着きがなかったり、自分が感じている事を否定していたりしていると言うことです。
(私が、いわゆる「性同一性障害」(診断書や法律的に認知されている言葉で、説明が面倒な時しか私や私の周辺の当事者は、基本的に積極的に使いません。トランスジェンダーとかトランスセクシュアルと言います)まだそんな言葉もなかった1995年9月に宣言文と共に、それまで男性として教育されて男性として生きている自分自身が違うと、直感し、少なくとも男性ではないし、女性として生きて生きたいと、実行に移しました。
当然の行動と感じた人達は、正直に言うと私にとって大切な人達ではなく、既に親しい友人や応援してくれると直感した人達には、悪くいえば根回しした後でした。
当然、混乱や非難はありましたが、私は平気でした。理解しよう、応援しようという人が居たからです。
何故、ここでこの話かというと、ワカラナイ事は人は受け入れられないし、判りたくない情報や事実は受け入れてしまうと、その人自身の築き上げてきた常識や経験、苦労を否定する事になるからです。事実を前にしても、自分自身の常識を変えるよりも、多くの人が目の前の事実を否定・非難して、自分自身が変わる事を拒むのです。
年配の女性で、社会の要請に準じて、その役割を演じてきて疲れているであろう方(あくまでも私の認識です)からは、生理の辛さも、生みの苦しみも、女性としての苦労も知らずに、女性として生きるなんて言われても受け入れられないし、認められないと言われました。その方は多分、時代と社会の要請により、辛いと思って生きてきたのでしょう。私の在り方を否定・非難しているつもりな反面、自分自身が乗り越えられなかった、積極的に女性として、楽しみ生きる事が出来て居ない自分自身に思い当たり、自分自身の生き様を否定出来るわけもなく、これから変わるという選択を拒否して、目の前の私の存在を否定する事で、その人自身のバランスを保とうとしていたのでしょう。
中には、聞かされる人の気持ちを考えるべきだ。聞きたくないし、聞かなかった事にするとまで、言われました。
ガンの告知を本人にするのと変わらないリスクかも知れません。知りたくなかったと、現実を受け入れる事を拒否して、事実に向き合っていくのは大変ですから。)
大分、話が膨らみましたが、最後の部分は蛇足みたいなものです。
あと、5分足らずで6時です。既に2600文字を越えました。
5月17日 アイダホ(Idaho)世界反ホモフォビア・ディです。
WHOの精神疾患リストから、「同性愛」の文字が消えた日です。1990年5月17日。
2007年から記念日として、様々な形で「多様な性にYES!」と発信され、全国で街頭アクションや都内でシンポジウムが企画されています。
都内は16日 新宿駅東南口 17時~19時
その他の情報は
http://yappaidaho.blog.shinobi.jp/
にて
