自信のないあなたへ。自信が内側からあふれてくる、もっと自分自身を好きになる、赤石ちづきのオフィシャルブログ♪ -9ページ目

自信のないあなたへ。自信が内側からあふれてくる、もっと自分自身を好きになる、赤石ちづきのオフィシャルブログ♪

あなたは自分がすきですか?

  あなたをプロデュース 自身の付く楽しい生活トレーナー


あなたにも出来ますよ。自信のつけ方教えます。
セルフイメージ(潜在意識)を変えて行動へ

お久しぶりです。


1ヶ月ぶりのブログになってしまいました。

あー、イロイロありましたが、言い訳がましいので書きません。


アメブロ3つ目のブログも始めたのですが、そっちは読んでもらいたい人たちが居るのは情報ではわかるけど、あまりにリアルで繋がりがないので、どこまで書けばよいのやらで、思った以上に筆が進みません。

あーこれも言い訳ですね。



さて、本題にいきましょう。


いよいよ、準決勝戦がはじまりますね。サッカーWカップ。


にわかファンにとっては、もう終わったよっていう話でしょうね。

TwitterのTLも日本戦の時はほぼ全部サッカー?でしたが、既につぶやく人もなく、某スポンサーサイトが丁寧に1分毎にほぼ全ての試合でつぶやいていますけどね。


5月26日のニコ生『桃井はるこの「独占!モコモコ60分」#23』で、ニコ動画公式応援歌として発表がありました。しかも、#22の時点で重大発表!ってかなり煽っていました。デビュー10周年記念放送だったし。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm10858740  8分16秒からスタート


ですが、この時点では日本は負け続けていて、応援歌を怨念歌とか言われているし、勝てるわけないとか、ネガティブ発言ばかりで、ムリクリ盛り上げていましたね。


1勝すれば、流れが変わるよ~って、わたしのコメント読まれましたけど(http://www.nicovideo.jp/watch/sm10858953 2分36秒から)、10周年記念、重大発表って煽ってきて、だだすべり。


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時が過ぎて、Wカップ3連敗とか言われていたのに、最初の試合に勝って勢いが。

2戦目は負け。しかし3戦目は勝ちと、決勝トーナーメントへ


あれだけ、岡田監督たたかれ、選手をたたき、チームをたたき、Wカップね~

あ~、南アフリカとか遠いところでやるやつね~


が一変ですよ。


決勝トーナメントは放送時間が午後11時からと視聴しやすい時間という事もあって、TBSは視聴率50%超え(詳細調べようと思ったけど辞めました。どうやら、近年まれに見る視聴率だったとか)


やっぱり、スポーツ中継は生放送でないと面白くないないので、録画が当たり前のこのご時世でも視聴率を取れたということでしょうね。


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ま、結果はPK勝負まで持ち込みながらも、残念。でした。


で、にわかサッカーファンはWカップおしまい。


それ以降の試合は、さすがトーナメントを勝ち残ったチームだけあって面白い試合が多いですけど。


サッカーの面白いのは、野球と違って、攻守の入れ替えがあっという間。

そして、サッカーグラウンドは広いです。駆け回るのは相当な体力が必要なところ。

で、アメリカ的スポーツはバスケ、アメフトなど点数がどんどんはいっていくゲームですけど、サッカーは45分+45分の計90分。今回は延長15分×2もありましたが、ほんの一瞬目を放した隙に、展開が変わって1点。


で、その1点が大きいですものね。3点差つけば普通は勝てます。


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今回、サッカーに終始してますが。


日本では、まだWカップ終わっていませんけど、終わってしまった雰囲気ですよね。


この、世間の話題の仕方に注目して欲しいのですよ。


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あなたが、自信がないとしても、他人は余程ミスを重ねない限りは気にしてません。


世間は、ちょっと、目立つ(負けこむ/または予想に反して勝つ)などすると、鬼の首をとったかのような大騒ぎ。


ところが、風のうわさも45日といいますけど、あっという間に忘れ去れていきます。


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結局は、みんな自分のこと、せいぜい家族のことぐらいで精一杯なんですよ。


だから、こそ、自信をもつ、自分を持って、自分らしい、自分のための生活を始めてください。


ちょっと突飛なことぐらいやっても、ちょっと変わっている人ね~ぐらいなものです。


このブログの最初に「夢リスト100個」って記事を書きました。


2010年も後半戦の今、もう一度以前のを見ないで100個書いてみてください。

そして、つき合わせてみてください。どれだけ達成していますか?


あなたはどれだけ変わりましたか?


今のあなたの現状にトラブルや困難があるとしたら、それは3ヶ月間のあなたの行動の結果です。

今、絶好調なら、3ヶ月前の頑張りの結果です。


ですから、どのような状況でも、今を大事にしてください。それが結局は未来を作るのですから。

夜中更新ですね。


どちらも、私の守備範囲にあるお店です。

最初の方のお店は入ったことがありません。


ずーと何で2番目なんだろう?

1番って言えばいいのに~。2番ならいいや~1番って主張できるお店に行きたい!!そう思っていました。


でも、最近ふっとおもったのですが、日本では謙譲の美徳っていうやつがあるので、お土産を持参して、訪問先で、「つまらないものですが」って言ったりするんですよね。


バカ正直にかんがえれば、つまらないものなんていらんわ~ってなことになるけど、持参した方だって「つまらないもの」だとは微塵にもおもっていないわけでね。。。。


自信って、持信なんですよね。


自分をもっているから、自信があるからこそ、つまらないものですが。。。

2番目ですけど。。。。


になるんですよね。


自己主張が強すぎると、自分が自分がになって、周りがみえなくなってキラワレたりしますよね。


出る杭は打たれる。出すぎた杭は打たれない。でも調子に乗るとポイされるっていうのがあるんですよ。


目立ちすぎると、有名税はかかってきますけどね。でも、認知されているが故にある程度の位置づけがあるんですよね。ところが、度が過ぎて天狗になると、もう、裸の王様ですよ。


気がついたときには、ひょいっとね。場外にいたりします。


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ちょっと、自信に対してネガティブに書いてしまいましたけど、自信がない司会者、アナウンサーの話って聞きますか?場なれしているということも含めて、その場に与えられた役割をちゃんとできる人って輝いているし、周りの人の信頼も得られますよね。


なにより、思考が前向きになり、想像力・創造力が沸きあがって、毎日が楽しかったり、些細な出来事に感動したり、はたまた、あーそうなんだなぁ~って、相手の行動なども、思いやったりできる余裕があるので、自然に感謝の心もでてくると思うのです。


自信とは自分を持つこと。自分らしくあることだと思います。


そのこと自体は、とても簡単です。なぜなら、あなたは世界中を探しても、過去の人を探しても何処にも、同じ人はいないからです。


あなたは、今、ココにいるあなた「だけ」があなたです。そのことに誇りをもってください。


失敗ばかり、長続きできない。怠けぐせがある。上手くいかない。病気がある。周りの人の無理解。

だれにでも、多かれ少なかれあります。


しかし、安心してください。あなたは、あなたの見方になるひと、応援してくれる人を直感で見つける能力をもっていますよ。


そうでなければ、私のブログを読んでいたりしないでしょう?


(それは自信過剰ですかね。でも、それが私のココでの役割であり、何かの「きっかけ」になるなら、お手伝いをさせてもらいたいと思います。)


活動の拠点は、横浜および23区内が中心ですが、ネット上でスカイプとかもありますしね。

もしも、あなたが望むなら、あなたの助けになるだろう人に、コンタクトをとってみてください。


もちろん、いそがしかったり、他の理由で断られるかもしれません。

でも、行動しなければ、何も起こりません。


行政だって、生活に困っている人に、こういう援助や支援がありますよって、玄関まで来てくれますか?

あなたが、生きようとおもったら、そういう情報がどこからか、聞こえてきます。支援団体が見つかります。


聖書の言葉(マタイによる福音書7章7-8節。(新共同訳聖書) )に、


「求めなさい。そうすれば与えられる。


探しなさい。そうすれば、見つかる。


門をたたきなさい。そうすれば開かれる。


だれでも、求めるものは受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」


3回も同じことを、別の表現で繰り返されています。



自信をもつこと。新しい自分と周りにいる人たちの笑顔と未来のために、自分のものにしてください。


あなたの行動を待っています。


コメントでも、メッセージでも構いませんよ。


では~


この辺で。


螺旋階段を登ること!


でいろいろ書いてみて、煮詰まったのでシンプルかつ簡潔に!



自信がもてない、その理由


自分に自信がないのは


1)実力がない。

2)他人と比較して

3)誰かに言われて

4)過去の失敗が忘れられない

5)指針、方向がわからない。

6)現在地がわからない

7)目的地がわからない。目標が見えない。


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一言解説のはずが結局...


1)誰でも最初はそんなものありません。まあ、稀に最初からできちゃうひともいるけどね。

 そんな特別な人と比べても意味ありません。上手くできない経験も、必ず役にたちます。


2)他人と比較して

 これもね~気持ちはわかるんだけど、あなたの人生は変わりに誰かが生きてくれるわけではありません。

 パートナーや友人や家族が居てもね~。自分の生き様は自分で決めるしかないのですよ。

 自分らしさを、好いてくれる人が必ず居ますよ。


3)まあ、皆さん好き勝手言いますよ。

 時の人鳩山さんや小沢さんだってね~、民主党が大勝したときはこぞって歓迎だったですよ。

 ところがね、今じゃ手のひら返して悪役です。<誰かに責任を押し付けているんじゃないかとね>

 (政治がどうのこうのではなくてね、どんな事をしても、賛成する人と反対する人がいます。

  それが目立った行動で、いわゆる「成功」ならなおさらね。甘い汁目的で近づく人から、尊敬の念から、ハタマタ嫉妬からなんてね)

 人の意見は聞いたらいいし、聞くべきでしょうけど、流していいんじゃないですか?

 別に、その人に言われて生きてるわけじゃないし、その人の為に自分の人生をかけているいるわけでもないでしょう?普通はね。せっかくの自由意志。それまで売ってしまうことないですよ!


4)過去の失敗がトラウマにっていうのはごく当たり前の反応ですね。

 私の6月のカレンダーの言葉「失敗の最大の原因の一つは、何度も何度も、繰り返し挑戦していないことである」とあります。成功するまでの過程であきらめること=失敗といいます。


5)6)7)~がわからない。 これは別に記事を書く予定ですが、わからないっていうのは嘘です。

 ただ、分かりたくない、本当のことを知りたくないと目をそむけているだけです。

それか、本当に麻痺してしまって見えない、分からないのか?

最後のケースは第3者の援助が必要かもしれません。


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煮詰まった原稿は下書きになっています。そのうち、保存食として加工されて出てくるかもしれません。


もう6月。今の自分の現状は、早くて3ヶ月前の自分の行動の結果だそうです。


3ヶ月後の9月。秋になるころ、どんな自分を想像しますか?

今日の、今からの、これからの行動がすべての結果をもたらします。


私も、考えること、やること、やりたいこと、現実、いろいろあります。

でも、とにかく、前に進むこと!

これだけは譲れないし、譲らないです。


生きるっていうことは、結構泥臭いですよね。毎日繰りかえされるささやかな営みが、結果を生みます。

それと、食べることは、なんらかの生き物の生を受け継ぐこと。無駄にすることはできませんね。


では。また次回。


早いですね。わたしは書くのは好きなのに、書きたいことはあるのにナカナカ思うようにいかないこともあります。

結局日曜日にアップしたかったのに、既に金曜日。


でも、これが現在の自分ですから。上手く付き合っていきますよ。

言い訳ならいくらでも書けますけどね。それは詮無いことでしょう。


ならば、毎週土曜日の夜勤の時にプロット暖めて、1本書くってことはどうにか続けていきたいです。

桃井はるこ(公認アカウント) さんの 「ツィッターのもたらしたもの」(http://ameblo.jp/momoi-ktkr/entry-10539615508.html


に触発されて! 書いたものの下書きとして暖めていました。上手く纏まらないのですが、そのまま公開してみます。



わたしも、Twitterのアカウントありますし、ほんとにつまらないことをつぶやくこともあります。


でも、私にはあまり向かないかな。


どっちかというと、140字以内という制限では、言いたいことが限られるし、後々までさかのぼれるかというと、限度があるし、非公式RTだと、発言者のページに飛んでも「本当に発言した言葉か」確認取るの大変だし。

その割りには発言元がはっきりわかる公式RTは、あんまり普及してないですよね。(公式RTだと元の文章そのままで、一切手を加えられないので、補足説明なども、できず、RT(引用)が好まれる傾向は使ってみるとわかりますが。


私は、情報を発信する際は、情報ソース、引用先っていうのにこだわります。

もちろん、自分発信の場合は、発言者としての責任を取るべく発言しているつもりです。


情報の受け取り手段としては、アニメにせよ、ライブにせよ映画にせよ(片寄っているのは私の趣向です)、製作スタッフの実況にちかいTwitterはファンとして知りたかった情報だし、そうやって、作品にさらに興味をもつこともですけれども、知りすぎてしまうことには、ちょっとだけ抵抗があります。もちろん、それだって許された公表できる情報なのでしょうけれどもね。


情報って「価値」があるだけに、微妙だなぁ~っておもいます。

そして、価値がありそうな情報も混ざっていて、混乱している人たちもたくさんいます。


私の周りでは、パソコンを持っていなくて、携帯だけという人もまだまだいますし、携帯だって電話だけっていう人もいます。


結局、有益な情報を得られる人って、平等になってきたように見えてそうでもなかったりします。


~手当て、補助金、支援・援助の法律。普及・促進のための法律。など便利な情報は、得ようと努力しないと入ってきません。


でも、逆に得ようとすれば、相談窓口や相談TELなどもあるので、インターネットが必需品ではありませんけれどね。結局ほしいと願い、行動した人にしか手に入らない情報があるのです。(それが嘘情報でも)


でも、消費税や所得税(自営業者は除く)などは、国籍・年齢にかかわらず、しっかり徴収されます。(もちろん、義務ですし、そのために国や自治体はサービスを提供してくれているのですが)


携帯の維持費。

パソコンの購入代金。

(新品なら5万円以上でしょうか? ※中古ノートパソコン、XP用 1.0GHZ以上14インチ~を1万円前半からヤフオクで私は売っています。)

インターネット常時接続・費用。

もちろん、電気代。


一度、手に入れてしまったものを手放すのは難しいですね。


でも、ここ数年、テレビは録画したものしか見ませんね。CMも面白いでしょうし、バラエティやニュース、報道番組、スポーツ。それぞれに見ていれば面白いですね。


でも、TVがついてると、ながら~ができない人なので、つまらなくても、見てしまうのですよ。

私の多分メンターの一人(あった事ないけどね)でリー・ミルティアさんは「1日は1440分しかない」ってよく言います。またネガティブな情報を受け取ると思考に影響するとも。なるほどと思いテレビを、音を、消しました。


だいぶ静かになりました。

あと、大手マスメディアの報道の傾向は、視聴者に好まれる形で報道されています。主張者の意見をそのまま流していることは、ありません。

報道する場合は代弁者ではなく、報道者としての見解と責任で報道しているからです。

そして、残念なことに、危機感を煽るような、ネガティブキャンペーンが多いのも事実です。

確かに、個々に大変な事柄であり、それぞれに目をむけ対策をとらないといけない事柄でしょう。

それでも、利害は不一致な事が多く、一筋縄ではいきません。すべてのことに配慮するなど、一個人にはできませんし、団体になると、団体を維持するための、方向性や団体としての人格を持つので、自由になんでもできるわけではないからです。


そういう意味で、どんな形であれ、やはり政治に関わるっていうのはかなり大変だなぁと思います。もちろん、個別に賛同できる人、できない人が、私個人の立場からありますけど。それは、それぞれの人にあるでしょうし、世間の風潮なんていうものが、案外動向を決めたりします。

テレビニュースや新聞を含め、視聴者がほしい情報というのは、普段覗けない情報(裏情報)や、スクープ/ゴシップ記事。誰かの不幸をみて安心するような記事。宝の箱があるよ~中身はなんだろう?的なものは、「箱の中身は、どうせたいしたことないだろう」と、思いながらも宝箱は開けてみたくなる(暴きたい願望)が垣間見えます。


1)情報とは、発信者の意図した意味を付したものであるということ。

2)情報とは、発信者の意図と関係なく、受け取り手の知識・関心レベルで変換されて受け取られること。

3)情報とは、受け取り手が発信者になるときは、1の発信者の意図とは関係なく、2の発信者的意図によって伝えられる。


このように、意図が曖昧さによって受け取られ、受け取られた瞬間に元の意図が変わって、新しい意図が与えら得て発信されます。意図がなければ、情報は生み出されません、そしてそれらは、言葉、音、映像、視覚、などの形で、何かを伝達するために発せられます。


情報に惑わされるのは、やめましょう。


どのような雑誌(ビシネス誌にはあまりないようですけど、占い系の記事があります。ブラウザを立ち上げれば、どのTOPページにも占いがあり、電車にのっても占いと天気予報は人気のコンテンツです。もちろん、それを楽しく受け取るのはかまわないですし、前に向かって動くためのエネルギーになるなら大いに結構です。しかし、そこに書かれていることに縛られて、自分の行動を制限することばかりになるなら、決別すべきだと私は思います。


その情報の是非ではなく、受け取り手の使い方しだいなんです。

自身=自信ということが、前回でてきましたけど、必要な情報だけを聞けばいいんです。

必要な情報さえがなければ、だれかに「それ」だけを聞けるのですから。かたっぱしから聞いていくうちに、誰にそれを聞けばよいか、どこから情報を得ればよいか分かってきます。


身体能力にしろ、感情表現能力にしろ、思考力にしろ、使えば鍛えられ、使わなければ錆び付いていきます。

どんなにスポーツに優れていても、1ヶ月も動かなければかなり、身体能力は落ちるでしょう。

それが数年に亘れば、大変です。病気や怪我で一番大変なのは、もしかすると「リハビリをして、元の能力、もしくは同等の能力をえるための、『気持ち(精神力)』かもしれません」


私は、何かを伝えたいという欲求にしたがって、この文章も書いているのですが、「日本語」で書いているのにはそれほど重要な意味はありません。私の母語が日本語で、日本語が一般的な世界に住んでいて、残念なことに私が日本語以外はほとんどできないという、制約の上で日本語という言語体系(言語には歴史的、文化的束縛があると思っています。)を「道具」として使っています。


「道具」っていうのは使いようですから、使わなくても紙を切ることはできますが、「はさみ」を使えば楽にきれいに切れますし、「はさみ」の主要用途は紙類を切ることとして作られていますが、何かを傷つけるものとしても使えるのです。


で、日本語という言語体系は、私にとって大変大きな問題を持っています。

それは、主体にあまりなりたがらない文化をもつ言語だからです。


突出することを嫌います。人と違うことを嫌います。「普通」「自然」が大好きです。目立つことをキライます。

謙譲、美徳などの文化的背景のもとに生み出された言語体系なのです。(そのことの良し悪しではなく、私個人の思想・信条を伝えるのは、おそらく不向きな言語体系であるといいたいだけです)


たとえば、「普通の人」って誰ですか?


一般論としては成り立ちますが、個別の人をさして、普通の人だよっていうのは、ひとつの意見であって、総意ではなく、成り立たなくなります。なぜなら、特定個人は他とは別の存在だから、どんなに「普通」であってもその人特有ってものがあるからです。


つまり、複数に対して漠然とした、社会的・文化的通念に合致したと思われる、時代的束縛の元に、なんとなく合意されたものの正体が「普通の人」です。


特定個人をさして、普通の人とは言えないというのが私の個人の持論です。かならず、個人には上記のような概念の元、普通とは言えない部分を包含しているものだからです。


だからこそ(かなり飛躍がありますが、改めて補足します)、多様性とか、自分自身を知るとか私にとっては大事です。

自分自身は「他人を通しての合わせ鏡でしか分からない」とは良く言われますが、それでもなお、私にとって、私自身が一番わからない存在です。だから、勝手に私のことを分かられてしまうことに違和感を感じますし、時と場合によりますが、私自身を代弁するのはやめてほしいとおもいます。


これは、マイノリティ(少数者)の問題を考えるときに、とても大事です。自分自身を知るという意味で重要な言葉としては、私は「アイデンティティ」という言葉を使います。(日本語訳は、自己同一性などといわれます)


しかし、あまりにも、この「アイデンティティ」という言葉の背景にある文化・歴史が日本語の土壌にあまりないためにあまり上手く伝わりません。


私の解釈ですが、「アイデンティティ」とは、存在を存在として認めるということです。それは、分かるのではなく、あるがままをあるがままとして、存在を認めるということです。だから、感情的にAさんをキライでもかまいません。それは誰のうえにもあることです。もちろん、誤解かも知れませんし、Aさんにもこちらにも、それぞれ事情があるかもしれません。それでも、Aさんをキライだ。という認識は、少なくともAさんの存在を否定していません。キライなAさんとして認めているわけです。


同様にに、自分自身を好きになる、自分に自信がつくというのは、自分の存在、現実におこっていることを、状況や感情をそのままに受け入れるところから始まるのだと思っています。


私の認識の中では、聖書でいう「殺すことなかれ」とは、「存在」の否定をするなということと同じです。

そこに、確かに存在しているのに、見て見ぬふりをする。意図的に忘れる(これは、意識しているので基本無理ですが)、映像的に考えると、フレームの外へ出してしまう。です。


キレイな写真、映像というのは、昨今の編集、修正技術もかんがえるとある意味怖いと思います。

その、フレームの外で何か真反対のことが起きていても、分からないからです。


おそらく、私の根底には、性善説的なすべての存在は肯定的であってほしいという願いがあるに違いありません。もちろん、だからと言って、戦争や自然災害を肯定しているわけでもありません。


戦争であれば、それが起こる歴史からの認識と、人の中にある競争心、闘争心、そして利得を得る人。すごく大雑把に考えてもそれだけの、さまざまな思いがあって、おきてしまうのです。


なくなればいい。そう思います。それを願うし、そのために、何かをしようとしてあがくことぐらいの自由はあると思います。なぜなら、今私自身の状況が、生きるために「やらなければやられる」などという状況ではないからです。(内戦状態にある国では、自分の存在をかけて、生きるためにそれをするなどという状況があれば、善悪とか思想・信念とか悠長に構えている余裕はないでしょう)


それでも、私が生活する上で植物にせよ、動物にせよ、生き物を殺して、生をつないでいることは忘れないようにしたいものです。


そして、自分ひとりでは、生きていけない事も。自分の能力、才能を生かして、稼いでいたとしても、それは自分一人で為したことではないのですから。


たとえば、こうして、アメブロに自分の意見を表明するのだって、電気・インターネット、アメブロというインフラを維持する努力があって、コンピュータ機器やソフトを開発した人が居たからこそ、今もそれを支えている人がいるからこそ、できることなのですね。


だから、「感謝を忘れないように」したいですし、だれかにこっそりとでも、「感謝」されたなら、それは望外の喜びでしょうし、それこそが、私自身の存在表明でしょう。


存在の表明の仕方はそれぞれ違います。病気で寝込んでいたとしても、その人が居るから(存在)があるから、励みにもなるし、前を向けるということもあります。もちろん、病気で苦しんでいる人にとってはそれが日常であり、何が楽しいというわけでもなくても、何か1つでも感謝することがあればきっと、1歩だけでも今を受け入れることの「きっかけ」になるのではと思うところです。


長くなりましたね。

語りたいこと、書きたいことは尽きませんし、上手く伝えられたかどうか分かりません。誤解を生むこともあるでしょう。それでも、こうして思いの一端を書くことができ、そして、最後まで読んでくださった方がいたなら、その方に感謝したいと思います。



前回、3歩歩いて2歩下がる♪

って歌を今更ながら取り上げたのですが、この「2歩下がる」が結構肝です。

3歩進んだのに、3歩下がっては前に進めずに、全てが守りに入って後退して行く感じです。

どう生きるのも自由ですが、映画「ショーシャンクンの空に」で言われているように、「要するにどっちかだ。頑張って死ぬか、頑張って生きるか。」

で、自分自身に自信がない。飛び込むきっかけが欲しい。

そんな思いが、どこかにあって、このブログを読んでくれているのでしょうか?

ならば、期待に添いたいけれど、私にできるのは、「きっかけ」をプレゼントする事だけです。

それは、ブログでも、セミナーでも、個人トレーナーとして関わっても、基本は同じ。


ブレゼントをもらって、喜ぶか、がっかりするかは、あなた次第ですから。


もちろん、私は最善の努力をして、プレゼントを選び、どんな顔をするかな?喜んでくれるかな?活躍してもらえたら、嬉しいです。

しかし、ブレゼントを受け取るあなたが、主体ですから、なんだこんなものって事だって良くあるでしょう。


さて、話を戻して、2歩下がるって何をしているかと言うと、前に進むエネルギーを蓄えているのです。

でも、聖書にもあるけれど、銀行に貯めるだけでは利息ぐらいしか増えないし、現実は貨幣の価値が物価の上昇で、下がるから、貯めるばかりはダメですよね。

で、下がるとは、自分自身に向きあっている時です。

☆自分を追求している
・何をしたいのか?
・今、楽しんでいるか?
・イヤイヤしているのは?
・好きでしている事は?
・時間を忘れるほど集中できる事は?

などなど。

これらは、日常でぐるぐると繰り返しの中で、螺旋階段を下りて、今の自分、過去の自分を振り返る作業なんです。

でも、ほら、螺旋階段を下りてばかりでは落ちて行くばかり。だから、この作業は3歩登ったら2歩下りるの繰り返し。

一気に5歩登っても良いけれど、登り続けるのは辛いよね。だから、振り返りながら登りましょう。


何故螺旋階段は登りが基本なのか?

これは、人はみな、生きるという意味で、一方方向に進む時間という流れに乗っているから。

それは、螺旋階段では登りなんです。

頑張って死ぬ人は、自分の内面に沈みこみ、自分で限界を設定し、罠を仕掛ける。内面に潜る事でわかる事もあるけれど、そこから、抜けて出て来ないと、伝えられないし、共有も出来ません。そして残念ながら、潜り始めると、他人との関わりが希薄になってしまって、世界の他の存在に配慮できなくなってしまいます。食べ物も衣服も、自分自身の力だけで手に入れたわけではないのに。

適度な階段を下りて、自分自身と出会うのは、大切です。本来の自分自身を、それこそ「自身=自信」を取り戻す作業なのですから。

次回は、螺旋階段を昇るって?と題して、前向きの効力……です。