ありますか?
ナイなんて回答なら、残念ですがあなたとこのブログは相性が良くないですね。
あなたの益にこのブログはならないでしょうから、お帰り頂いた方がよいでしょう。
私も含め誰でも先送りの名人です。
言い訳を考えるのは得意だったりします。
(それが無意識でも)
やることリスト、書いてますか?
ツィッターで呟くって私言いましたが実は2日しかできてません。
(事実は認めます。まだまだ甘い自分を認識しつつ書いています)
時間は限りがあります。
1日は1440分しかないのですから、やりたいこと、やるべきことに集中しないと時間は足りないのです。
しかし、眠いし昨日がんばったし、まあ明日でも間に合うか。
まだ、それをはじめるには、準備が出来てない。早すぎる。
もう少し慣れたら、もう少し勉強してから....
そういう一面もあります。
しかし、自信というのは、行動して経験することでしか積みあがらないものです。
一晩寝ると自信が降ってくる。なんてものではないのです。
もちろん、本や映画やドラマや舞台をみたり、仕事の中でのあれこれや、友人との雑談でも気がつくことはいくらでもあります。
でも、結局はそれを行動に移さないと、経験値としては増えません。
自信というのは、知識ではないからです。行動の「結果」なのです。
そして、行動すればそれが、どういう行動であれ、必ず「評価」されます。他人からも、自分からも。
そして、その解釈と、次の行動が「自信」をさらにもたらすのか、自らの評価を下げ諦めるのかにつながります。
さて、表題の何時始めますか?
答えは、「今」です!
もちろん、一度にいくつもの事はできません。
だから、リストなんです。
優先順位をリストに書く!
別に、その辺の裏紙でいいです。
マジックなど見やすい太い大きな字で、今からやることリストを書きます。
そして、それを、冷蔵庫でも机の前にでも貼ります。常に意識して見ましょう。
(慣れてきたら、1日の終わりに、手帳サイズのノートやメモ帳に、やるべきリストの写し。今日の残高(収支を大雑把に把握)。思いついたことは、何でもメモをお勧めします。見返すと、自分のやってきたこと、これからが見えてきます。明日のリストが出てくるのです!)
多少順番が変わっても、1つ2つ達成できなくても気にしなくていいです。
(完璧にやろうと頑張るのはやめましょう。
一見、自らハードルを上げて頑張っているつもりのようですけど、それは自らに言い訳を作っているようなものです。)
リストに5つ書いたら、1つでも2つでも出来たら、自分をほめましょう。
やれば出来るのですから、リストに書いたことを減らして、また次の課題を書くことになるでしょう。
それでいいんです。
現実的に出来ないこと、出来なかったことは、次の日のリストにまた書けばいいんです。
そのうち、できるような形になって(変化して)その「やること」は行動に移されて消えていきます。
なぜ、「今」なのか
それは、能動的な自分になるための訓練の1つです。
自信がないのは、結局は積み上げたものの評価(自分/他人)が低いからなんです。
思い出してください。(たぶん無理でしょうけど)
あなたが、赤ん坊だった頃の話です。
あなたは、誰かに言われたわけでもないのに、立って歩こうと、毎日140回も転ぶという
「失敗」を繰り返しながら、強制されたわけでもないのに、日々努力?を続け、
そして、ついには立って歩けるようになったのです。
そう、人は本来、本能的に習得すべきことがらについて、余計な知恵がない間は「失敗」などおそれず、
努力を続け、習得する能力をもっています。
あなたが、この文章を読んでいるということは、日本語という言語と(文化も)習得しています。
本能だし、当たり前?そう思われるかもしれませんが、私はそう思いません。
たとえ、それが本能だとしたら、毎日140回も立てないという失敗を、失敗ではなく「経験」として蓄積し、
軌道修正しながら、立って歩くということの能力の習得のための、エネルギーと動機と行動力をもっているのです。
つまり、人は無意識であっても、努力するし、成長するし、やり遂げる能力をもっています。
大人になると1回の失敗で、落ち込んで、2回の失敗で諦めて、3回の失敗で逃げ出す。
それで良いんでしょうか?それは、余計な知識でないのですか?
失敗したら、カッコ悪い。努力なんて流行らない。面倒だし、所詮こんなものだし受け入れるのが人生。
所詮世の中は不公平なんだし、ないものねだりしてもしょうがない。
そう思っているならそのような人生を歩んでいくことになるでしょう。
自分のセルフイメージ。自己像に近づく努力を人は無意識にするからです。
(これは本能的に備わった機能ですから、これに抗うには、赤ん坊に立って歩くことを禁止し続け、立たせないなどという非道を自分にするぐらいたぶん大変だろうと思います)
まあそうです、それぞれ自分の生き方ですから、それでいい。
極論を言えば他人の人生に首を突っ込んでいる暇はないです。
自分の分だけでも、持ちきれないのではと思うぐらいですから。
それに、人は他人に操作されませんし、人は他人によって変わったりもしません。
(本人が操作されたいと願えば、変わりたいと思わない限りにおいて)
横道にそれましたが、私としてはとても残念なのですが、どうやら、本能には「自信を持って生きる」っていうことを求めても、立って歩くという本能的努力よりも、外野の言葉や行動に翻弄されてしまう自分がいて、大抵はそういう力に巻き込まれてしまうのが現実なようです。余計な知識。常識。習慣。思い込み。
あなた自身の存在。
それは固有のものです。哲学的には良くわかりませんが、現実としては同じDNAを持つクローンでさえ、存在としては別個のものになります。同じ工程で作られた物でも、2つ作られれば、それは同一の存在ではなく別個の存在なんです。存在とは、他と交わらない別物と認識するからこそできるからです。
日本という国では、どうやら「出る杭は打たれる」的な感覚が根強く残っていますけど、もうそろそろやめませんか?右にならっておけば...。流行っているから。乗り遅れたくない。。。。他の人と同じだと安心する。
もちろん、一人では生きていけませんし、社会を成り立たせるための基本はあります。ルールもあります。
しかし、自分らしくあること。私ならでは考え。そういうのがもっとあって良い。そう思います。
それぞれ違う存在だからこそ、多様で、面倒で、でも思いがけない面白さが生まれてくるのだと思います。
他人がどうであれ、自分が自分らしくある!
それは、その人自身にある最低限の尊厳だし、だれも犯すことができないし、自ら放棄すべきでもないと思います。
他人を、社会をやっかみ、ねたみ、誰かを悪人にしたて、そして誰かの足をひっぱる。
(マスコミの策略に幾らお金をつぎ込み、非生産的な活動に時間、労力、お金を使うのですか)
それって、結局自分のやるべきことを、やってない言い訳で忙しいってだけじゃないですか?
そんなヒマがあったら、自らやるべきことをコツコツやった方がいい。本当にそう思います。
ちょっと、上手くいったり、成功したり、目立ったり。すぐに叩かれます。
それは、覚悟しておいた方がいいでしょう。でもだからどうしたとも思います。
自分らしくありたい!
本能的にだれでも願っていることだと思うのですけど、違うのでしょうか?
ツィッターをやっていると、TLがある話題に集約し、そして拡散していく。
そういう現象をよくみます。ある意味おもしろい。
でも、私からしたらどうでもいいことも結構あります。
auからスマートフォンが出ましたね。私的にはiPhoneより実用的です。おさいふ携帯、モバイルコンテンツの表示など、現在私が利用している携帯に必要な機能があるからです。しかし、一方ではコンテンツではiPhoneになりますね。まだまだこれからどうなるかわかりませんけど。そして、重要なことは、少なくとも今の自分には、どちらも必要ない!たとえどんなに流行っていてもね~
あとは、声優さん系のフォローが多い事もあって、モンハン3が話題ですね。やれば面白いのでしょう。
流行るだけのことはあるのだと思います。でも、残念ながら私にはそれをやる時間がもったいない。
1500時間もゲームに消費するなんて、ぞっとします。(それだけの時間現実逃避は出来るでしょうけどね)
しかし、弁解もしておきましょう。私もゲームは好きでした。今でも結構好きでしょう。
気晴らしに携帯アプリや、mixiゲームをやることはあります。
以前にはネットゲームに嵌まり込んで、ひたすらチャット能力が上がったことも懐かしい。
でも、私の今のリストにはゲームはありません。今後もリストに乗ることもないでしょう。
あくまでも、気晴らしに、気分転換にたしなむ程度だろうとおもいます。
かなりの長文になってしまいました。申し訳ありません。
そして、思いつくままに書いてしまったので、あまり纏まりがありません。
でも、1つ、2つの方向性はぶれてないと思っています。
最後に、お気に入りの記事を紹介しておきます。
れいれいさんのブログ記事(女が嫌いな女を、女が嫌いな理由を探る)
この中で言われてる2つの大事なこと!
・他人とくらべる必要もないくらい、自分らしく生きること。
記事の中でその意味を確認してみてください。
