今日も、過ごしやすい穏やかな一日でしたね。
多くの人達は、夕飯を食べてのんびりとして居るのでしょうか?
お子さんが何人かおられる方は、慌ただしい食事時間を終えて、ホッとしている方も居るかしら。
絶賛、残業中でパンやおにぎりをかじりつくこともできずに、今日は何時に帰れるのだろうか?と悪戦苦闘(楽しくね)されている方もいらっしゃいますよね。
そして、私のようにこれから仕事で、電車に乗って、夜勤へと向かっている方も居るでしょうね。
都会だけでなく、24時間誰かが働いているから、起きたとき(それが何時であっても)、何事もなく、新しいその日が過ごせるし、自身もまた、それらの営みに加わることによって、誰かを、否、自分自身と家族と数人の友人達の生活のささやかな、幸せを生み出すことができるのです。
もっと、大きな視野で、物事を見据え、何か事を起こす人もいるでしょう。でも、自分自身の姿や、身近な人達を見る事なく、大きな事ばかり見ていると、自分が裸である事も気づかないし、近くにいる人達は、ソワソワしても、なかなか指摘してもらえないでしょう。そこでは、如何に大切な関係を築いているかが露呈するに違いません。
まして、世間や、電車の前に立った人などからは怪訝な顔をされるか、肩をすくませる程度でお仕舞いで、本人には告げるなどという親切な人は皆無に等しいでしょう、そして、友人同士の笑いのネタと消費されて終わりです。
★★★
なにが言いたか、わかってもらえそうにないまま、つらつらと書いてしまいましたが、誰もが、そう、自分自身に自信があってもなくとも、本人にとって、都合の良い情報(それは、目や耳から鼻や皮膚などの体感を含め、さらには雰囲気というその場の空気)だけを受け取り、都合の悪い情報は、都合良く忘れたり、見えていてもみなかった事にしたり、といった事を、誰もが瞬時に判断して行っています。
別に良いとか悪いとかではなく、自らの決めた(もしくは世間が決めたものを結果的に自ら受け入れたもの。諦めも含めた(諦めたと決めたのは、誰かではなく自分自身))ルールや処世術によって、自らを保つ為の自己防衛本能だからなんの不思議もありません。
しかし、時はながれ、流行やルールは変わっていくもの。
今、あれ?何か変?あれっ変わった?と思う事があるならば、何かに気が付いたなら、それを忘れる前に、漠然としたものはそのまま、気持ちと共に、なんらかの形で、自分自身の外に記録しておく事はとっても重要です。
そのときには、その正体がわからなくても、何かに引っかかったという思いを、ココロに出来れば、文字として、それもできなければ、留守番電話に吹き込んでもいい。忘れないうちに記録という足跡・軌跡・マーク・タグをつけておくことによって、将来の自分、もしくはだれかが、それに気が付くかもしれないからです。
(世の中には、嵐や渦や螺旋のような、巻き込もうとする大きな力が働くことがあります。そのときを切り抜けられるものこそ、これらの、あれ?という気付きの記録や、自分の体感なのです。)
何故なら、目に映る情報はとっても多く、インターネットや、世の中に出回っている、書籍や雑誌から得られる情報は、一人の人が一生の間に得られるものを遥かに越えています。
さらに情報には個人的主観や独断や(敢えて)嘘など、等しく価値がある訳でなく、知らなければよかった内容から、嘘を見抜けずにかえって混乱に陥る恐れのあるものさえあるのです。
そこで、重要になる技術として、情報をどのように判断して、分類、整理、そして再利用する技術ではないでしょうか。別に難しくありません。まずは、思いついたことを、箇条書きに書き出す習慣を作ります。
そして、次に箇条書きをみて、自分のルールで(そのとき思いついたルールで)それらをグループにわけてみると、1つの事柄がより大きな枠組みで見られるようになります。
そこには、自らを信じて、恐れずに進む事しか結局ありません。辿り着いた場所が、思い描いていた所と違っているなら(それを仮に失敗というならば)、戻ってやり直しをすれば良いだけのことです。
別に失敗したからといって、昨日までの現実と、今日からの現実が変わったかというと、本人にとっては、大きな差異かもしれませんが、多くの人にとって、何も変わらない現実なのです。そして、それは自分にも言えることなのです。
気が付くとは、自らを嵌める罠に、自らを導こうとする自分自身を発見する事であり、自らが変わろと、もがいている、自分自身に出会うことなのです。それが、唯一変わる方法ですし、それを成長というのです。
変わることを恐れないでください。何も変わっていないようで、世の中は時の流れと共にしっかりと変わっていっています。1日が繰り返され、1年で季節が繰り返されようとも、去年の5月と今年の5月は同じではないのです。歴史とは、スパイラルカーブを描きながら、同じようなことをなぞっているように見えても、かならず何かが変わっていっているのです。(2010.05.08 20:27:34/加筆修正 2010..05.09 13:39)