手話とパントマイム | アジアご飯、とくにマレーシアご飯、時々つぶやき

アジアご飯、とくにマレーシアご飯、時々つぶやき

2005年から2009年までの4年間、常夏のマレーシアで暮らしていました。2年過ぎた今でも、日本食は「ハレ」の料理でちょっぴりよそよそしく、アジア飯のほうが「ケ=日常」のご飯で、ホッとします。私にとっての食とは、味わいながら、みんなとつながることです。

先日、日本人のマイムのプロと話しをする機会があった。

 

「壁を体で表しているだけでは、単なるジェスチャーなんです。

壁を手で触ってみて、そこでどう感じたのか。

向こうに行きたいのか、それとも壁があってホッとしたのか。

その気持ちを表現してこそ、マイムなのです」

 

手話と同じだ。

手話は、手の形だけを真似していては、手話にならない。

そのとき伝えたい“気持ち”を表現してこそ、手話は言葉になる。

 

きっと文章も同じなのかもしれない。

字面だけ追っても、文章は文字にしかならない。

その奥にある気持ちを伝えようとしてこそ

文章は言葉になる。

 

いつか、言葉になった文章を伝えたい。