昨日書ききれなかったので、今日もトッピングである。
トッピングとは、ある場合には非常に有効に働くが、その逆で、全く別の料理に作り変えてしまう危険
性も持っていると認識している。又、トッピングとは、本来元の料理とトッピングした具財が一体となっ
たうまさや、元の料理にほどよいアクセントを与える為に用いるのだと思うが、そのどちらにも属さない
例もある。私の個人的な見解で恐縮だが、それぞれに例を見てゆきたいと思う。
最初にトッピングが有効な場合である。乗せる具材にもよるのであろうが、アイスクリームのたぐい
は、とてもよいのではないかと思う。チョコレートのチップや、ちょっとしたフルーツ、あるいは他の味
のソース等、見ていても楽しい。そして私の場合、やはりパスタである。しつこいようで恐縮だが、濃厚
なトマトソースに、パルミジャーノ=レッジャーノやペコリーノ・ロマーニャをたっぷりとトッピングし
た時のうまさは答えられない。この場合トッピングというよりは、最初からお決まりのようなものなの
で、ちょっとはずれてしまうかもしれないが。注意を一つだけ。魚介系のトマトソースには、一般的にチ
ーズはトッピングしない。カジュアルなイタリアンレストランでは、何のソースであっても、緑の缶をい
っしょに持ってきてくれる。うっかりしてかけないように注意されたい。サラダにトッピングするベーコ
ンビッツはどうだろうか。淡白な野菜に、油脂のよい香りと、ピリリとした塩味、そして、カリカリの食
感を与えてくれる。のんびりしていると、葉野菜の水分を吸ってカリカリ感が薄れるので、急いで食べた
いものである。
次は全く別の料理に変わってしまう例である。これはトッピングがする食材が、トッピングされる方の
料理より強い個性や味を持っていた場合に起きると思う。たとえばマヨネーズである。世にマヨラーと呼
ばれる人達がいる。ご存知かとは思うが、何にでもマヨネーズをかけてしまう人達だ。彼らは刺身にもマ
ヨネーズをかけるという。刺身ということばの意味を、生魚を切った形状を指すのではなく、山葵と醤油
で味わう料理の一ジャンルとして捕らえるならば、これはあきらかに、別の料理と言っていいと思う。山
葵と醤油でなくても、塩とすだちや、ポン酢あたりならば刺身といっていいと思う。しかし、マヨネーズ
になってしまうと、「生魚のマヨネーズ乗せ(Mayonnaise on the raw fish.) 」とでも言いたくなる。
ソーメンにもマヨネーズをトッピングするそうだが、こちらの方は、何にも属さない不思議な料理になっ
てしまうのではないか。ある種のスパイスもその傾向がある。例えばクミンシード。カレーの香りを特徴
づけるスパイスである。試しに、どんな料理でもかまわないので、クミンシードのパウダーを振りかけて
みるといい。世界は一挙にカレーに近くなる。これにプラスして、ターメリックやカルダモン、コリアン
ダーやクローブ及びトウガラシを加えれば、元の料理が何であったとしても、もはや大方はカレーであ
る。
次はトッピングが全く元の料理となじまない例である。これは簡単である。異物を混入すればよいだけ
だ。最近時折チェーン店のスタンドカレー屋に行く。実に数多くのトッピングがある。定番のトンカツや
ゆで卵はもちろんのこと、チーズやソーセージなどもある。その中で私が選択したのは、鶏のから揚げで
ある。言い訳がましいが、割引対象になっていたからである。食べてみて一番強く感じたのは、カレーと
から揚げは全く調和しておらず、お互いが、お互いの味に影響を与えている訳でもない。すなわち、アク
セントになっている訳でもなく、それぞれが全く独立して、一品の料理として存在しているということだ
った。これはトッピングではないと思った。店ではトッピングとしているし、から揚げはカレーの上に乗
っているだが、盛り合わせではないだろうかと思った。しかし、なぜ鶏のから揚げは、カレールーのよう
な個性の強い料理に侵されないのであろうか。一つには、その香りにある。というか、匂いである。ブロ
イラー特有の、嫌な匂いがかなり強烈に個性を主張している。これがカレーの香りに対抗してくるのであ
る。もう一つは、衣の種類とから揚げの形状にあると思う。同じ揚げ物系のトッピングであっても、コロ
ッケはカレーになじむ。これは、衣のパン粉がカレールーの水分を吸って、ルーと一体化するからであ
る。又、その形状も大切である。コロッケは平たい為、カレールーと接触する面積が広く、一体化しやす
いのである。翻ってから揚げの衣は表面がつるつるである。これでは、ルーの水分をはじき返えしてしま
う。衣に包まれていない、鶏肉の中身ならカレールーとなじむと考えたが、残念ながらから揚げの形状は
大抵立方体に近く、かじって鶏肉を露出させたとしても、鶏肉内部の表面積はあまり大きく露出せず、結
果としてカレールーになじむことはなかった。匂いの少ない地鶏を使い、横長の大きなから揚げを作っ
て、長辺方向に半分に切るとよいのではないだろうか。ころものサクサク感を殺すことなく、中の鶏肉が
露出する面積が増えるので、カレールーとなじむような気がする。
最後に究極の話を一つ。中目黒にある都内で一番おいしいと絶賛する人が多い、某有名ピッツェリアの
職人に、女性誌の記者がインタビューした際の話である。そこの店は、マルゲリータとマリナーラしかメ
ニューにない。余計なトッピングなど一切無い。記者はなぜ、二種類のピッツアしかないのですかと訊ね
たという。職人は一言、「外に何があるというのですか?」と訊き返したそうである。そう、うまいマル
ゲリータとマリナーラがあれば、外のどんなピッツアも、どんなトッピングも一切必要ないのである!
トッピングとは、ある場合には非常に有効に働くが、その逆で、全く別の料理に作り変えてしまう危険
性も持っていると認識している。又、トッピングとは、本来元の料理とトッピングした具財が一体となっ
たうまさや、元の料理にほどよいアクセントを与える為に用いるのだと思うが、そのどちらにも属さない
例もある。私の個人的な見解で恐縮だが、それぞれに例を見てゆきたいと思う。
最初にトッピングが有効な場合である。乗せる具材にもよるのであろうが、アイスクリームのたぐい
は、とてもよいのではないかと思う。チョコレートのチップや、ちょっとしたフルーツ、あるいは他の味
のソース等、見ていても楽しい。そして私の場合、やはりパスタである。しつこいようで恐縮だが、濃厚
なトマトソースに、パルミジャーノ=レッジャーノやペコリーノ・ロマーニャをたっぷりとトッピングし
た時のうまさは答えられない。この場合トッピングというよりは、最初からお決まりのようなものなの
で、ちょっとはずれてしまうかもしれないが。注意を一つだけ。魚介系のトマトソースには、一般的にチ
ーズはトッピングしない。カジュアルなイタリアンレストランでは、何のソースであっても、緑の缶をい
っしょに持ってきてくれる。うっかりしてかけないように注意されたい。サラダにトッピングするベーコ
ンビッツはどうだろうか。淡白な野菜に、油脂のよい香りと、ピリリとした塩味、そして、カリカリの食
感を与えてくれる。のんびりしていると、葉野菜の水分を吸ってカリカリ感が薄れるので、急いで食べた
いものである。
次は全く別の料理に変わってしまう例である。これはトッピングがする食材が、トッピングされる方の
料理より強い個性や味を持っていた場合に起きると思う。たとえばマヨネーズである。世にマヨラーと呼
ばれる人達がいる。ご存知かとは思うが、何にでもマヨネーズをかけてしまう人達だ。彼らは刺身にもマ
ヨネーズをかけるという。刺身ということばの意味を、生魚を切った形状を指すのではなく、山葵と醤油
で味わう料理の一ジャンルとして捕らえるならば、これはあきらかに、別の料理と言っていいと思う。山
葵と醤油でなくても、塩とすだちや、ポン酢あたりならば刺身といっていいと思う。しかし、マヨネーズ
になってしまうと、「生魚のマヨネーズ乗せ(Mayonnaise on the raw fish.) 」とでも言いたくなる。
ソーメンにもマヨネーズをトッピングするそうだが、こちらの方は、何にも属さない不思議な料理になっ
てしまうのではないか。ある種のスパイスもその傾向がある。例えばクミンシード。カレーの香りを特徴
づけるスパイスである。試しに、どんな料理でもかまわないので、クミンシードのパウダーを振りかけて
みるといい。世界は一挙にカレーに近くなる。これにプラスして、ターメリックやカルダモン、コリアン
ダーやクローブ及びトウガラシを加えれば、元の料理が何であったとしても、もはや大方はカレーであ
る。
次はトッピングが全く元の料理となじまない例である。これは簡単である。異物を混入すればよいだけ
だ。最近時折チェーン店のスタンドカレー屋に行く。実に数多くのトッピングがある。定番のトンカツや
ゆで卵はもちろんのこと、チーズやソーセージなどもある。その中で私が選択したのは、鶏のから揚げで
ある。言い訳がましいが、割引対象になっていたからである。食べてみて一番強く感じたのは、カレーと
から揚げは全く調和しておらず、お互いが、お互いの味に影響を与えている訳でもない。すなわち、アク
セントになっている訳でもなく、それぞれが全く独立して、一品の料理として存在しているということだ
った。これはトッピングではないと思った。店ではトッピングとしているし、から揚げはカレーの上に乗
っているだが、盛り合わせではないだろうかと思った。しかし、なぜ鶏のから揚げは、カレールーのよう
な個性の強い料理に侵されないのであろうか。一つには、その香りにある。というか、匂いである。ブロ
イラー特有の、嫌な匂いがかなり強烈に個性を主張している。これがカレーの香りに対抗してくるのであ
る。もう一つは、衣の種類とから揚げの形状にあると思う。同じ揚げ物系のトッピングであっても、コロ
ッケはカレーになじむ。これは、衣のパン粉がカレールーの水分を吸って、ルーと一体化するからであ
る。又、その形状も大切である。コロッケは平たい為、カレールーと接触する面積が広く、一体化しやす
いのである。翻ってから揚げの衣は表面がつるつるである。これでは、ルーの水分をはじき返えしてしま
う。衣に包まれていない、鶏肉の中身ならカレールーとなじむと考えたが、残念ながらから揚げの形状は
大抵立方体に近く、かじって鶏肉を露出させたとしても、鶏肉内部の表面積はあまり大きく露出せず、結
果としてカレールーになじむことはなかった。匂いの少ない地鶏を使い、横長の大きなから揚げを作っ
て、長辺方向に半分に切るとよいのではないだろうか。ころものサクサク感を殺すことなく、中の鶏肉が
露出する面積が増えるので、カレールーとなじむような気がする。
最後に究極の話を一つ。中目黒にある都内で一番おいしいと絶賛する人が多い、某有名ピッツェリアの
職人に、女性誌の記者がインタビューした際の話である。そこの店は、マルゲリータとマリナーラしかメ
ニューにない。余計なトッピングなど一切無い。記者はなぜ、二種類のピッツアしかないのですかと訊ね
たという。職人は一言、「外に何があるというのですか?」と訊き返したそうである。そう、うまいマル
ゲリータとマリナーラがあれば、外のどんなピッツアも、どんなトッピングも一切必要ないのである!