我は蜂取り隊長
家の周りにはあらゆる遊びがあった小学校の頃。
のぶ君とひで君を従えた僕は、蜂取り隊の隊長、
過疎化の進む4区を仕切る頼りないリーダーであった。
夏になると、我らの任務は、近所を探索して蜂の巣を見つけたり、
取巣の依頼を受けて、3人で協力して蜂の巣を取り、村の平和を守ることなのだ。
一人は水鉄砲で威嚇し、もう一人は蜂の巣の周りを飛び回る蜂共を虫網で捕らえて踏み潰す。
そして、隊長自ら蜂の巣を虫網で捕らえる。絶妙な連携プレーだ。
戦果は、隊長の母である房代に届けられる。
房代は、その蜂の巣の子達をしょうゆとバターで手際よく料理してくれるのだ。
そんな隊長も中学生となり、蜂取り隊もけが人を出さず無事解散を向かえたのだが、
ある日、盛んな足長蜂の巣を退治してくれと、依頼を受けることになる。
将来の行く末
そういえば、大学卒業の頃、先生の推薦を断って、
なんの保障もなく東京へ出てなんとか就職をした。
音楽にしか興味を示していなかった大学で、憧れていた音楽業界に、
そして、オシャレで格好良くすることしか考えていなかった高校で、憧れていたアパレル業界に。
回り道をしながらも、完璧ではないけれど、夢をかなえた。
でも、当時は就職氷河期、並行して大学院への道も模索していた自分もいた。
地方の大卒という自分でも、よくもまあ努力もせずに運良くここまできたものだ。
ということは、今後の、今年の選択肢も、
マイノリティながら、自分らしい強みを活かした選択肢、
異国の地で"働く"を取るべきが賢明なのだろうか。
でも、マジョリティの中へ、弱みを埋める貫き通す姿、MBAの道を思い描く。
どちらが自分の夢なのだろう。
日本軍の欠陥は日本の会社の欠陥にもなりうる。
学習理論の観点から見れば、日本軍の組織学習は、目標と問題構造を所与ないし一定としたうえで、最適解を選び出すという学習プロセス、つまり
「シングル・ループ学習(single loop learning)」
であった。しかし、本来学習とはその段階にとどまるものではない。必要に応じて、目標や問題の基本構造そのものをも再定義し変革するという、よりダイナミックなプロセスが存在する。
組織が長期的に環境に適応していくためには、自己の行動をたえず変化する現実に照らして修正し、更に進んで、学習する主体としての自己自体をつくり変えていくという自己革新的ないし自己超越的な行動を含んだ
「ダブル・ループ学習(double loop learning)」
が不可欠である。日本軍は、この点で決定的な欠陥を持っていたといえる。
北方謙三 水滸伝
北方謙三の水滸伝を3巻まで読んだ。
三国志に引き続き、男くささ満載である。
http://www.shueisha.co.jp/suikoden/
その中でも、俺がもっとも驚くのは、○○の章と付く○○の部分である。
曙光だの、替天だの、玄武だの、道蛇だの、烈火だの、
一体なぜこんなに2文字で章を表現できるのだ?
この2文字表現は三国志を超え、巻に比例して更に膨大な量である。
俺は、このせいで若干引き気味になり、4巻以降買い留まっている(笑)
この替わり、浅田次郎、蒼穹の昴である。
