上下関係 | 酒の友は我が友也

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酒好きで女好きとの評判な筆者が、意外と適当じゃないことを綴るブログ。
きっと何か発見がある。たぶん、本を買うより安上がり。
合い言葉は、『愛だろ?愛』

私は上下関係に基本無頓着だ。
年が上だから偉そうにするのも、地位が上だから偉そうにするのも。
どういった場合でも、そこに囚われるのは愚行だと思っている。

それが嫌だから、自身がフリーで仕事をするようになったのも事実。
小さな箱の中で、優越感に浸り、劣等感に嘖まれ。
「井の中の蛙大海を知らず」
これではあまりにも悲しい。

一昨年、ある案件で九州地区の統括マネージャーを請け負ったことがあるが、
私の中では上司と部下という関係はなく、“役割”が違う仲間という位置付け。
スタッフのポテンシャルを最大限発揮させるのが私の役割。
スタッフは成果を上げるのが役割。
そこに上下関係はない。
※立ち上げ2ヶ月目から業務終了まで、全国一位を達成

それと、更に言えば…。
年齢や地位や名誉に頼る人は、自分自身に自信がないから。
それ以外(要するに、人間力)で、他人に認められないから。
だから、目に見えるものに頼る。拘る。
実にくだらない。

三国時代。魏の国の王だった曹操に、こんな逸話がある。
ある時、匈奴の国(異民族)の使者が訪れた際、
曹操は自身の身長が低いことを恥じ、身代わり(崔季珪)を立て、自身は太刀持ちに扮した。
しかし、匈奴の使者は、「太刀持ちこそ英雄だ」と見抜いたのだ。
※話はこれで終わりではなく、その後曹操は使者を殺した。
※魏武促刀

この逸話が物語っていることのひとつは…。
立派な(実力がある)人物は、どんな格好をしていても光を放つということ。
内から滲み出るオーラ(敢えてオーラ)は、常人の目にすら映る。
磨くのは肩書ではなく、自分自身の内面であり実力だ。

何もかも捨て、裸になった時、その人の真価が問われる。
人は他人から認めてもらいたいものだが(認知欲求)、
それを強要したところで、真の評価には至らない。
むしろ、「小さい人間」とバカにされるのがオチだ。

まずは、小さな拘りを捨て去り、
人と人として付き合ってみてはどうだろう?向き合ってみてはどうだろう?
さすれば、自ずと周りから認められる人になれると思うのだが。
如何なものだろうか。