最近の若い世代を見て思う。
「こいつらは、タフなのか鈍感なのか
」
タフと鈍感。
この二つは紙一重のように思えるが、実はまるで違う。
大きな隔たりがあるのだ。
タフは“打たれ強い”“へこたれない”等、精神的な強さがあってこそ。
一方、鈍感は、その言葉のまま“気付かない”だけなのである。
自己中心的な言動や行動。
配慮に欠ける立ち居振る舞い。
まず、自分ありきが基本な若者たちを見ていると、
ある意味強いな。とは思うが、それはタフではなく単に鈍感なだけなのだ。
そう結論づけることになる。
実際、精神的に脆い人間が増えてきたからこそ、
“鈍感力”なる言葉も誕生したのではないか
筆者はそう感じている
確かに鈍感の方が楽な場面は多い。
色々と解るから気になるし、頭を悩ませる。
言わば、鈍感というのは、ストレスを溜めない秘訣でもあるのだ。
しかし…。
このことは、現在の若い世代に限ったことではなく、
いつの時代も若い世代というのは、そういうものだろう。
そうとも思う。
かく言う筆者も、若い時は極度な自己中だったと認識しているし。
自分ありきな姿勢は、年を取った今も持ち続けていると言っていい。
が、基本的に相手への配慮を怠ることはない。
まず他人ありき。その中で、自分ありきを貫く為にはどうすればいいか
そう、これは鈍感ではなく、敏感じゃないと出来ない芸当。
アンテナを常に張り巡らせ、心の機微を感じ取る努力をする。
情報を収集し、そこから正答に一番近いルートを見つけ出す。
自分の為に。である。
勿論、全てが正答とは限らない。
が、感じ取る努力をするのとしないのでは、
天と地ほどの差が生まれる。
まず、敏感であること。
そして、タフであること。
傷つくからこそ、相手の気持ちも解るようになる。
傷ついた心は強くもなる。タフになる。
鈍感では、これは叶わない。
時に鈍感が必要な場面もある。
そういう人もいるだろうが、そこは敏感に感じ取り、
鈍感を振る舞うことが最上ではないか
筆者はそう思うのである。
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