定説 case6 | 酒の友は我が友也

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酒好きで女好きとの評判な筆者が、意外と適当じゃないことを綴るブログ。
きっと何か発見がある。たぶん、本を買うより安上がり。
合い言葉は、『愛だろ?愛』

予定は未定。

便利な言葉ですよね得意げ


“予定どおり”記事をアップ。

しかも、超久々の“定説シリーズ”

ファンの皆様、ご無沙汰しております。

そして、お待たせしていません得意げキラーンキラキラ


読者の声「はい~はてなマークえっ」←杉下右京風でどうぞ。


たまたま来た方はラッキーです。

この記事を見ることが出来たのですからビックリマーク


読者の声えっ


正直なところ、ネタは結構あります。

はい。モチベーションの問題です。

と、そんな話はさておいて。


今回の定説はこれだ…ワンツースリーpen.


読者の声えっ


多くの人は他人に理解を求める。

しかし、他人のことを理解しようとする努力は怠る。


【補足】

これは多くの人に当てはまると思います。

よく…。

女性「何故解ってくれないのよ」

男性「何故解ってくれないんだ」

関西「なんで解ってくれへんねん」

的な発言は聞きますよねはてなマーク


読者の声「その三例は必要あるのか…ガーン


それは、私個人の見解を述べると、

“貴方(その人)がその相手を理解しようとしていないから”です。

自分のことだけ理解してもらおうとか、そんな虫の良い話はありません得意げ


以前、別の記事にも書きましたが“欲すれば与えよ”の精神が肝要です。

理解して欲しいと切に願うなら、まずは相手を理解しようと努めることです。


が、しかし…。

ここでひとつの疑問が生じる人もいるでしょう。

“他人と自分は違うもの”という考え方が存在するからです。


この考え方に則って考えると、

極論になりますが、他人に理解を求めるのは野暮なことである。

違うものは理解出来るはずもない。だから、一線を置いて付き合うのが人付き合いのコツであると言う結論に達すると思います。


これは確かに一理あります。

程良く関わりを持ち、互いの気持ちを尊重し合い、

心に土足で立ち入るようなことはしない。

それにより、人間関係は“表面上”円滑になります。


が、悲しいかな。

表面上円滑になるだけで、真の解決には至らない場合が殆どです。

互いに理解し合えないまま、なんとなく心に靄がかかったような…


スッキリしない状態になるだけだと私は思うからです。


他人と自分は違うものという認識は、

その上でもう一歩踏み込むからこそ意味があるのです。


誰だって傷つくのは嫌でしょう。余程の自虐好きな人でもない限り。

しかし、傷つかないと理解出来ないこともある。これは事実でしょう。

だからこそ、他人と自分は違うという認識を持ちながら、更に一歩踏み込む。

そして、自分の考えを押しつけることは単なるエゴと知るべし。

ここが重要です。


他人は自分と違うということを認識し、他人のことをまず理解しようと努める。

それが、自分を理解してもらえる為の第一歩なのです。

互いにその意識があれば、人は必ず解り合えます得意げ

私はそう信じていますにひひ