497.志賀くんの巻 | フランス絵巻き

フランス絵巻き

南仏コートダジュール・画家よんじょう

愛情が憎悪に変わるナンギな心情は、異性間に限らず、同性間や親子間にもアルネ。フランス絵巻き 可愛さ余って憎さ100倍いうのん。こないだネ、志賀直哉(シブい?)の古本を読んでましたらネ、志賀君の親子(父子)も、長年、不仲が続いとったらしいネ。父子の和解までの過程を実小説にしてあんねんけど、父子の性質がソックリやな。どっちも頑固やねん。意固地とはマタちゃうけど。憐憫みたいな感情を完全に抜き取って考えても『自分は絶対に間違ってない!』と確信してるから、そのスジ(信条)を通す為、折れるに折られへんねん。冷戦は1日も早ヨやめたい気持ちは両人とも同じなのに、自分が歩みよった時点で、それまでの努力が(=相手に解らせるために涙をのんで戦うてきた事が)水の泡になってしまうし、そう簡単にはいかんノヨネ。メオト喧嘩でも、そーゆーのってあるけど、ウチは相手が仏人やん、日本人的な反省や謝罪はハナから期待でけへんやんかぁ、『もうなんでもええわ』ヤワ。
話モドソ。親の心、子知らずで、お父上のほうは、何度かさりげなく和解の機会を作ってるんやけど、息子のほうは、親が本気で自分を憎んでると思い込んでて、頭の中が理論武装になっとーから、いつまでも融通が利かへんねん。でも、親に負けてあげようと思って譲歩するのも親に対して失敬やし、親が元気なうちはそれもいいサ。
結局、志賀親子はお祖母さんの病気がきっかけで、十数年にも及ぶ冷戦が溶ける日がくるんやけど、お父上は本当は息子を愛していながらつらくあたることが息子以上につらかってん。そのことを思うと、私がオトッツアンになったような気がして、お父上が涙を流すシーンで一緒に泣いちゃつた。フランス絵巻き ちなみに、この冷戦と和解から、志賀君は次のことを学んだそうよ。
『そのまま信じていい事を疑って、誤解や意地の張り合いで、作らなくていい悲劇を作ることがいかに愚かなことか』ト。たったそれだけの事を悟るために、文豪もどえらい歳月を費やすねんナア。