フランス人の「あなたが望むなら」を考察する | 沖縄で語学と日仏バイリンガル教育と

沖縄で語学と日仏バイリンガル教育と

フランスで6年、東京で4年過ごしたのち、2020年8月に私の故郷(夫と出会った場所)沖縄に来ました。
2011年生まれの息子、2013年生まれの娘がいます。
2020年8月より、沖縄在住。
公立小+おうちフランス語で日仏バイリンガル育成中。

前回、

「フランス語の言い回しに垣間見られるフランス人の心」

をテーマに記事を書きました。




長くなったのでいったん切りましたが、実は、あの記事には

もう少し続きがありました。

今日はそれを書いてみたいと思います。




フランス人は、人に何かを提案したり誘ったりする時に、



単純に、~しましょうか?という感じよりも、



いちいち



~したいか?

~して欲しいか?



というように、相手の意思をはっきりと確認する形で

質問することを好んでいるようだ、と書きました。




しかし一方で、



例えば「手伝って欲しいか」とたずねた場合、

とても不思議な返事の仕方をするのです。



こんなことがありました。




休暇で義実家に滞在中だったある日のこと。

その日は昼にお客さんを呼んでのランチの予定があったので、

義母は朝から忙しそうにしていました。




その様子を見て、私はこう声を掛けました。




「何か作業、手伝いましょうか?」



すると、義母はこう答えたのです。



Si tu veux.....oui.....ここの野菜の皮、むいてくれる?」






Si tu veux を直訳すると、「もしあなたがしたければ」



ん????




「何かお手伝いしましょうか?」



に対しての返事が、



「あなたが望むなら」




私はこの不可思議な返答に戸惑い、一瞬固まってしまいました。




しかしフランス人は、何か人から誘われたり

提案されたりする時の返事として、

よくこの台詞を言うのです。





実は大昔にも、この「si tu veux」で衝撃を受けた

出来事がありました。




まだ私たちが東京在住だった頃、

夫の友人アーノーとその彼女アナイスが、フランスから

バカンスを取ってやって来て、2週間ほど我が家に

滞在しました。




滞在中のとある休日に、別のフランス人の友人も

誘って、バーベキューをすることになりました。




その買出しに4人で行った時のこと。




たくさん食べ物を買い込んで、レジに行きました。

合計がだいたい6千円くらいだったので、友人アーノーは、

3千円を出そうとしました。




すると夫が、「今回は僕が払うからいいよ!」

と言いました。




それに対するアーノーの答えが、

「Si tu veux.」だったのです。




とてもびっくりしました。




二人は幼馴染で、すごく仲のいい友人同士では

ありますが、それにしても

「今日はおごるよ!」の答えが「そうしたければどうぞ」だなんて、

日本語にしてみたら何様!?という印象を受けます。





その時の私のフランス語能力は今よりずっとずっと

低かったですが、この「Si tu veux」だけは、間違いなく

聞き取れました。




しかし、このシチュエーションで「あなたが望むなら」って

どう考えてもおかしいよね、、、と、全く意味が分からず、

頭の中でずっと疑問がうずまいていました。




4人で行動中、アーノーとアナイスがちょっと先を歩いていた

タイミングがあったので、その隙に夫にこっそり聞いてみました。



「ねぇ、なんでさっき、アーノーは シチュヴー って言ったの?」



と。




しかし夫にとっては全く気にも止まらない一言だったよう。

「え、何のこと?何が?」と言うばかりで、私が何を

疑問に思っているのか、それさえも理解していないようでした。




その場ではいったん迷宮入りしたこの「シチュヴー」。

フランスで生活するようになってからも、何度も遭遇しては、

そのたびに頭を悩ませていました。





もしかして、実は「si tu veux」には私が知らない用法が

あるのでは?と思い、辞書の vouloir のところを隅から隅まで

読んでみたりもしましたが、やっぱり辞書的には、

「あなたが望むなら」以外にない様子。




念の為、夫にシチュエーションを説明し、

こういう時「si tu veux」って言うのはどういう意味?

と聞いてみるも、「確かに言うけど、なんでだろうね。」

と、全く参考にならない回答。




人からの提案や誘いに対して、


「あなたが望むなら」。


一体その心はなんなのでしょう?




実際のところ、そう言っているフランス人自身も、

「定型表現」のような感覚で、深い意味なく使っている。

それだけなのかもしれません。




ただ…、やはり言葉としてこんな表現になったのは、

その裏になにかの「心」が隠れているのでは、、

と考えたくなってしまうのです。




そこで私なりに考えて、深読みしてみました。




人に何かを提案されたり、誘れたりした時の返答としての

「あなたが望むなら」。




これは、


「行動の主体はあなたなのですよ」


という気持ちのあらわれなのかな?

というのが私なりの見解です。



フランス人と言えば、「個人主義」の

イメージが強いと思います。



しかし、意外と、

自分と他者が存在する場面において

自分が何か行動を取るときには、

その行動の主体は自分ではなく相手にゆだねたい

という気持ちがあるような気がします。





そう考えて振り返ってみると、フランス人が集まって

何かを決めようとする場面では、結構皆他人任せな発言が

多いような印象です。




個人主義と言われている割には、人と一緒に何かをする

場面においては、



「俺が俺が」「私が私が」という態度よりも、


「あなた次第」とか「どっちでもいい」とか、



他人に判断を委ねる発言が意外と多いような気がします。




一歩踏み込んで考えると、もしかしてそれは

「責任逃れ」の心理なのでしょうか?





フランス人の得意な態度として

「私には関係ない」「私のせいじゃない」

というのがありますが、



「あなたが希望するなら」と言っておけば、

何が起ころうとも最終的にそこに持っていける、

という無意識下に埋められた防御なのでしょうか?




全く違うかもしれませんが、

とことん考えてみた、私なりの「シチュヴー論」でした。




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