フランス語という外国語に日々接しながら
暮らしていて感じること。それは、
「ことばには、思考が宿っている」ということです。
外国語を話すということは、単に「ことば」を話す
という事にとどまらない。
それは、その言語を話す人たちの、
思考回路や発想、つまり「心」までもを理解すること。
色んな局面で、それを実感します。
フランス語でコミュニケーションを取ろうと
するときには、「フランス人の発想法」を
理解しておかないと、誤解や混乱を招く
ことがあります。
例えば、フランス語の、「~しましょうか?」という表現。
ここにひとつ、フランス人の「思考」があらわれていると
私は感じます。
まだフランスに来て間もない頃、フランス語はいつも
本で暗記したような文章を頼りに会話をしていました。
「ことばの背景にある心」をさておいて。
人に何かを提案したい時、
日本語だったら「~しましょうか?」と言いたい時、
私は決まって
Je peux~ で始まる文章を使っていました。
(私はあなたに)~しましょうか?
と。
義母が料理をしていて、私も手伝いましょうか?
と言いたい時は、
Je peux vous aider?
直訳すると、
(私はあなたを)手伝いましょうか?
となります。
しかし、ある時、気がつきました。
フランス人は、同じようなシチュエーションの時、
こんな言い方をしているのです。
(あなたは、私に)~して欲しいですか?
(私があなたを)手伝いましょうか? という代わりに、
(あなたは私に)手伝って欲しいですか?
(Tu veux que je t'aide?)
という聞き方をするのです。
「~して欲しいか?」
はじめこれに気がついた時、なんだか違和感を覚えました。
~して欲しいか?
そんな事を言われると、
なんだか図々しい人みたいで、「はい」と答えにくいじゃないか、、、。
(あなたは私に)手伝って欲しいか?
(あなたは私に)やって欲しいか?
「自分の要求、意見をはっきり言う。」
ことよりも、
相手の気持ちを慮る、周りの人に配慮する。
というところに重点を置いた教育を受けてきた私。
だから、いちいち「~して欲しいか」という
問われ方をすると、戸惑ってしまっていました。
(して欲しい、ってほどでもないか。。。)
「あ、いや、大丈夫、、、デス…」
という感じで(笑)。
だけど、ある時理解しました。
自分の思っていること、要求をちゃんと訴えること。
それは、フランス人にとって、「安心」であるということ。
こんなことがありました。
休暇で、夫の実家に帰省していた時のことです。
帰る日の直前に夫の叔母の家を訪ねたら、
庭の畑で取れたという大量のにんにくを、
「よかったらパリに持って帰らない?」と見せられました。
無農薬のニンニク。とてもおいしそう。
でも、もうスーツケースの中にほとんどスペースはなく、
もらって帰るのは、無理です。
ニンニクなだけに、においが気になるので、
手荷物にして機内に持ち込むこともできません。
私は、「欲しいけど、どうやって丁寧に断ろうか。。。」
と考え、微笑んだまま、無言になってしまいました。
すると私の表情を見た叔母が、「欲しいの!?」と
目を輝かせました。
そこで私が「あ、いや、、そうじゃなくて、、欲しいんですが、、、」
と慌ててボソボソ言ったところ、
「え!?何?!欲しい?欲しくない?
欲しくないなら、そう言ってくれれば全く問題ないのよ!
ムツミがの気持ちが分からないことが、私は一番心配なのよ~!」
と、コミカルに説明してくれ、私はハッと気づいたのでした。
とっても欲しそうな雰囲気を全面的に出しつつも、
惜しみながら、それでもって、やんわりと婉曲的に断る。
その、いかにも日本流をフランスで実践しようとして、
フランス人を混乱させてしまった、こっけいな私(^^;)。
いや~、残念ですが、持って帰れませんね。
でも親切にありがとうございます。
ほんとおいしそうなニンニク!
そうはっきり断りつつ、親切なオファーに感謝の意を
示しておけば、それでよかったのです。
あなたがどうしたいのか。
その気持ちが分からないことが、一番不安になる。
それを学んで以来、フランス人とコミュニケーションを
取るときには、「できないこと」「無理なこと」を含めて、
自分の意思をちゃんと伝えることに気をつけています。
口先だけの「ことば」を学んでも、それだけで
完結するものではない。
それが、異文化コミュニケーション。
その国の文化や思考、果ては、
その文化の魂までもが宿るような、「言語」。
これだから、外国語学習は、面白いのです。