ずいぶん空いてしまったが更新。
家族との時間を優先させたい為、自転車はほぼ乗れていないけれど、ジョギングでなんとか体力維持しています。
ジョギングはペースと心拍を上げすぎず、イージーペースで30~60分程度。
怪我防止でしっかりとベースを作っておきたい。
忘れてはならない、地震の話。
1ヶ月経過したけど、記録しておく。
2023年12月30日、実家のある三重県四日市に帰省。
実家でゆっくり過ごし、夜は古い友人と会い二日酔いになったりと楽しく過ごす。
2024年1月1日の昼前に四日市を出発し、金沢へ戻る。
道中、実家でもらったお小遣いで夕飯のいくら丼をお持ち帰りで購入。
15時半ぐらいに金沢に到着し、帰省の荷ほどき。
16時すぎに荷ほどきが終わり「あーやれやれ」としていた所、
テレビ(NHK)で地震速報のテロップ。1発目は体感で震度1~2ぐらい?
またいつもの珠洲の方・・・と思うが、一応、2歳の子供を抱きかかえながらじっとテレビを見ていると
実家の母親から地震大丈夫?とLINEが入る。
返信した数分後にスマホからあの緊急地震速報の警報音。
「あっ」と思った数秒後に横揺れがドカンと来たので嫁さんに「外に行こう!」と言い、走って外へ。
自分は身構えていたので、揺れのなか子供を抱えたまま外に出れたが
嫁さんは家の中で立てなくなっていた。
隣の部屋の奥さんと中学生の女の子2人も外に逃げてきて、震えていた。
しばらくすると嫁さんも走って降りてきた。
外に出てきたあともしばらく揺れが続いており、車の中でNHKのニュースを確認。
津波警報が出ている。我が家は金沢港から直線距離で4kmほど。
マジか・・・どうしよう・・・と思い余震が収まったすきに部屋に戻り
嫁と子供の上着、飲み物、とにかく手に持てるだけ持つ。
車に大津波警報に変わっている。
急いで車を出して、近所のアルプラザへ。
何かあったらアルプラザへ行こうと防災の日にはいつも確認していたので、もたもたせず判断ができた。
震える手を抑え、深呼吸しながら運転。5分ほどで到着。
NHKからの大津波警報、逃げて下さい、は今でも耳に残っている。
アルプラザに着き、車のまま屋上に上がるか店内を歩いて登るか考える。
皆考えることは同じで立駐に向かう道は渋滞していたので、歩いて店内へ。
エスカレーターは停止。店内もぐちゃぐちゃ。立駐は空調用のダクトや柱が落ちていたり。
屋上は車でいっぱい、人もみんな上に逃げてきていた。
人がいる所に来たので嫁さんも少し安心していた。
実家の四日市も結構揺れたらしく、家族や友人、職場の人からも連絡が来ていた。
スマホは繋がるが、ニュースや情報がいまいち入ってこない。
こういう時はテレビが一番早いと思った。LINEでテレビの情報や金沢港のライブカメラの情報を送ってもらえて助かった。
18時ぐらいまで店内にいたけど、子供を抱えたままずっと立っているのも辛くなってきた。慌てていたので子供の靴を履かないまま出てきてしまったので、いったん家に戻って体制を整えることにした。
家に戻ると散らかってはいたが、物が倒れるなどはなく大きな被害はなかった。
いくら丼を掻き込んで食べて、もう一度アルプラザへ戻った。
屋上駐車場に行き、20時ごろまで待機していた。大津波警報も解除されたので
再び家に戻ることにした。
とりあえずお風呂入ろうという事でお湯を貯めると茶色い濁った水が・・・
シャワーで済ますことにしたがあまりの寒さに子供は震えていて申し訳なかった。
普段とは違う状況に困惑したのか、子供は終始大人しくしており、偉かったが、あとあと「怖かった」と口にしていた。
子供を寝かしつけしている間にも余震が続くが自分たちも早めに寝ることにした。
夜中、また地震が来たときに備え玄関に防災バッグを置いておいた。
また大きいのが来たらとにかく子供を抱えて外に逃げる。警報音が鳴ったら、何も考えずにアルプラザに逃げる、と打ち合わせをしておき、就寝。
案の定、夜中に何度も余震がありゆっくり寝られなかった。
翌朝、1/2
ヘリコプターの音で目が覚め、NHKを見る。
輪島や珠洲の状況に本当に言葉が出なかった。
輪島は行ったことはないけれど、時折々ニュースで目にする朝市の風景は印象に残っていて
いつか行きたいと思っていたが・・・こんな事になるとは。
水道水は怪しいのと、子供のオムツのストックが心配。
朝の内に近所のクスリのアオキに行くと長蛇の列。
みな考えることは同じだった。店内は商品がぐちゃぐちゃになっていたが
朝の9時から開店しており、頭が上がらない。
幸い、会社にも防災のストックがあるので水を貰いに行った。
道中、いたるところで地震の影響で道が陥没している。
地震の大きさを目の当たりにし、大変なことになったとますます実感する。
家にいても仕方がないので、恐る恐る、姉妹都市公園へ。幸い公園内は大丈夫そうだ。
県立中央病院が見えるのだけれど、続々とドクターヘリが離着陸している。
見たことがない消防の赤いドクターヘリも飛んでいた。怪我をされた方が運ばれているんだろう・・・と思うと
気が重くなった。
救助に当たっている状況、72時間の壁の事、家族をなくされた方の報道がたくさんされている。
同じぐらいのお子さんを亡くされたお父さんなど、テレビを見ているのも辛い内容だが
どのように解釈したら良いのか悩んだけれど
死はいつも隣り合わせ、メメント・モリ、何気ない日常に感謝しながら過ごすことの大切さを噛みしめる事が
今の自分にはできることかな、、、
気持ちばかりですが石川県に義援金を送らせてもらいました。
金沢での日常生活は幸いにも数日で戻りましたが
主要道路を走っていると災害支援の車、自衛隊の車両がぞくぞくと能登方面へ走っていく。
いつも展示会で出展する産業展示館は災害支援の拠点となり、石川県庁の周辺も慌ただしい状況。
少しずつそのような状況も落ち着いてきましたが、能登の方はまだまだかと思います。
被災された方の日常が少しでも早く戻ることを祈っています。