ちょっと目を引くようなタイトルにしてみました。

 

事実なのですが、工場や自衛隊基地へ行って見てきたような、過度な期待をしてはいけません(笑)。たまたま散歩先事前調査でGoogle Street viewを使用してたら目に入り、じかに見たいと思って現地へ向かった次第です

 

住宅街にエンジンが

 

実は、今回八幡市に向かった一番の目的が“ジェットエンジンを見に行く”というものでした。

 

これまで「流れ橋(弊サイトのページへ)に向かう」と書いおり、これはこれで合っています。ただ流れ橋には石清水八幡宮駅より、近鉄京都線の久津川駅からの方が近いのです。「エンジン」も見たかったので「流れ橋」を組み合わせたら、結構な距離(約8km)になってしまいました。

 

さて、話は石清水八幡宮駅を出たところからスタートします。

ケーブルカーとケーブルカーとエジソン像を見送り、自動販売機に後ろ髪を引かれつつ歩くこと約5分、目的地が見えてきました。

 

 

その名も「飛行神社」です。「神社」という古代から神道の信仰のために設けられたものと、「飛行(機)」という人類が空を飛んでようやく120年というものの組み合わせも興味があるし、何より最初に記したジェットエンジンが置かれている点も気になります。

 

防衛省の広報板も、いい場所確保できている(笑)。

 

 

「飛行神社」は航空安全祈願という事で、案内によると1915年に鎮座とのこと。ライト兄弟の初飛行が1903年とのことで、人類の初飛行からわずか10年ちょっとで航空安全の神社が建立されたということに、少しだけ驚きを感じました。

 

実は認識誤り

 

ただwikipediaなどで調べてみると、第一次世界大戦において1914年(神社建立の前年)に、ドイツ帝国のアジア拠点があった中国・青島(チンタオ)を日本軍機が爆撃したそうです。

 

初飛行から10余年で、飛行技術は大きく進化していたのですね。認識ができてませんでした。

 

さて、一番気になっているジェットエンジンを拝見します。最初の画像の、中央に写る建物の中に納まってます。

 

 

何枚か写真を撮ったのですが、周りの風景がガラスに写りこんでしまい、エンジンがどれも見辛い状態となってました。カメラレンズのフィルター持っていけばよかったのかも。

 

エンジンの持ち主は

 

神社の説明板によると、エンジンは航空自衛隊でも使用されたロッキード社の戦闘機「F-104J」のものらしくて、米ゼネラル・エレクトリック社のJ79という型番のエンジンとのことです。

 

戦闘機やそのエンジンについて詳しくはないのですが、私が子供の頃住んでいた場所が航空自衛隊新田原(にゅうたばる)基地にほど近く、爆音を響かせて空を飛んでいたF-104Jを眺めていたことを思い出しました。

 

自衛隊機は音速を越えて飛行していたようで、音のする先を見ても機影は見当りません。そう、音速を越えられる(マッハ2出せたらしい)すごいエンジンなのです。

 

なお、「F-104J」はその後に後継機「F-15J」に切り替わったそうです。映画「トップガン」で使われている戦闘機って何だったっけと思いましたが、あちらは「F-14」でした。話が少し脱線しました。

 

境内を巡る

 

さて、境内を巡りましょう。

 

 

鳥居が見えます。

 

鳥居の起源の一説として「鳥の止まり木」がありますが、鳥も飛行機も空を飛ぶもの。滑走路が無いと飛行機は止まれませんが、オスプレイならひょっとして・・・場所があれば技術的に可能かもしれないけど、住民感情が阻止するだろう。あれ、何の話を書いてるんだ?(汗)

 

階段を上がった先に、あるものが目に入りました。ジェットエンジンではなく、変形したプロペラとエンジンです。

 

 

案内板には「零式艦上戦闘機の機種部」と書かれています。ゼロ戦かぁ。

 

戦争は反対ですが、純粋に空を滑空した素晴らしい飛行機として、本物とご対面出来たら・・・と思ったりします。

 

案内板にはこのエンジンを漁師が大阪湾で引き上げた旨が続けて書かれており、戦闘で残念な最期を迎えてしまったものではないかと思われます。

 

浜松の航空自衛隊広報館で2009年撮影

 

神社を後に

 

境内は一般参拝者は奥まで進めないようで、普通に参拝して神社を後にすることにしました。

 

 

というわけで、短時間で境内の一部のみの散策となりましたが、間近に飛行機のエンジンを見ることができて満足しました。

 

この後に近くの「らくがき寺」へ向かいました。「飛行神社」を含めた散策地図はそちらで紹介します。

 

ではでは