デビュー作『グラン・ヴァカンス: 廃園の天使』で、華々しいデビューを飾った著者の駄作(その3?)

 これで説明が終わってしまうと、身もふたもないのですが、昔ブログに書いた『零號琴』と感想が同じなのでしょうがありません。

 『SFが読みたい 2025年版』には、(恐らく出版月の関係で)載ってないのですが、来年版では、たぶんランク上位だと思われます。

 しかし、駄作なのは間違いない。前作『自生の夢』ほどではないですが、話の落としどころが今一つわからない。

 短編集です。

●「未(ひつじ)の木」
 単身赴任夫で別居している杖田杏子(つえだ・きょうこ)。ある日、賃貸マンションに、夫・森一(しんいち)から小包が届きます。開けてみると、中には、植木鉢に植えられた30㎝ほどの小さな木がありました。杏子は、今日が20回目の結婚記念日だったことを思い出し、夫にはLINEでメッセージを送ります。
 数日後、木は鶏卵のような実をつけ、中から夫・森一の赤ん坊が出てきます。その後、木は次々に実をつけますが、そこからは様々な年齢層の夫が出現。しかし、数日すると、それらは萎れて、紫に変色してしまいました。
 杏子は動揺し、夫がどうして、こんな悲しいものを送ってきたのか確かめようと、夫の所に行きますが、そこは空き家。その時杏子は、自分には夫がいない、どころか結婚してさえいないことを思い出します。
 作中は、夫・森一のパートも並行して書かれ、同様に彼にも妻から木が送られ、会いに行った妻のマンションが存在せず、自分には妻がいないことを思い出します。

 そんだけ。(落ち無し、いやこれが落ちか?)

●「ジュブナイル」
 なんだかよくわかりませんでした。

●「流下の日」
 日本では、自制党の乙原朔(おんばら・さく)総裁が8度目の就任。彼は、これまでの長期政権で、「家族」の重要性を説き、社会保障制度を「家族」単位に収斂させます。同時に、国民に生体内コンピューティング<切目(きりめ)>と、生命形成技術<塵輪(じんりん)>を推進していきます。そして、決済サービスを発展させた「バングル」と呼ばれるシステムを、国民全体に装着させ、国民の意識を自分の政策の都合のいいように、徐々に誘導させていきます。
 こうした体制に反発する組織は、「バングル」の機能を狂わせる物質を観賞魚に仕込み、日々、川に放流していたのでした。

 (えっ、これで終わり?)

●「緋愁」
 土木事務所に勤める富田博(とみた・ひろし)は、とある宗教まがいの団体が、県道のガードレールに真っ赤な布を巻き付け、路肩に十台もの車を縦列駐車させていることに対して、移動を要請することになります。

 彼らは、世界中が虚偽の報道やネットへの書き込みで、現実が多重化されることを危険性を説きます。また、自分たちは、気が付いたらここにいることも…。
 仕事を終え、家に帰った富田は、自分の現実が曖昧になっていく感覚を覚えながら、就寝します。

●「鎭子」
 奔放に生きる志津子(しずこ)と、幼い時から体が弱く、ひっそり生きてきた鎭子(しずこ)が、同じ場所で異なった人生をなんとなく送っている話です。

●「鹽津城(しおつき)」
 海や人体に溶けている塩分が、理由もわからず突然結晶化し、建造物や人体を破壊するようになった世界。塩は「鹵(しお)」と呼称され、発生した災害は「鹵害(ろがい)」と呼ばれます。

 終わり。

 いや、「鹵害」を漫画にした双子とか、その両親みたいな人たちの並行世界的な話や、男性も妊娠し出産する民族(?)とか、誰が描いたかわからない「鹽絵(しおえ)」とか、よくわからないギミックは出てくるんですが、説明も本筋とのつながりも全くないので、消化不良です。

 全体的に、話の意味そのものがわからなかったこれまでの本に比べて、そこそこ読めるようになっています。
 ですが、どれも結末らしい結末がなく、何が面白いのかわかりません。

 問題は、こうした作品が「SF的には評価されるだろう」ということであり、

 「SF」が「わかる人にはわかる」ものになっていくことです。

 残念です。

 法条遥のSF小説『リライト』(2012年出版)を原作とする映画です。ずいぶん昔に読んだので、ほとんど内容は覚えていませんでした。しかも、法条さんはこの『リライト』をシリーズ化しています。巻数が進むほど、迷宮に運ばれるという、非常に癖が強いシリーズです。
 そんな難解な作品を、どう映画化しているのか興味がわいて、観に行きました。(というより、内容をほとんど覚えていませんでした。)

●あらすじ
 高校3年の夏、美雪(池田エライザ)のクラス(33名)に保彦が転校生してきます。ミステリアスで、あか抜けた感じの彼は、クラスメイトの注目を浴びます。

 ある日美雪は、クラスメイトのムードメイカー的な茂に、「図書館に本を返しておいてくれ。」と頼まれます。しぶしぶ美雪が図書館に行くと、誰もいなかったはずの空間から、保彦が突然出現。
 保彦は、300年後からタイムリープしてきた未来人でした。彼は、300年後に読んだある小説に感銘を受け、この時代にやってきたのでした。夏の間、一緒に過ごすうちに、美雪は保彦に恋心を抱きます。彼は、美雪に「10年後に10秒間だけ行けるタイムリープ薬」を渡し、「必要な時に使うよう」薦めます。
 7月21日の音楽の時間、老朽化していた旧校舎が、突然瓦解します。事前に保彦が旧校舎に行こうとしていたのを伝えられていた美雪は、10年後の自分に保彦を救う方法を尋ねるため、薬を飲みます。そこは、10年後の美雪の家で、10年後の自分がいました。彼女は、「保彦は、旧校舎には行かなかったので、無事である。」ことと、美雪に『少女は時を翔けた』という題名の本を示し、「これを、あなたは将来書く。大丈夫、きっと書ける。」と告げます。
 10年前に戻った美雪は、保彦から「元の時代に戻る。」と告げられ、「自分と君が、ここで過ごした物語を書いて欲しい。」と言われます。
 

 美雪は卒業後、保彦との物語を執筆し、出版社に持ち込みますが、結果は没(え~!)しかし、小説家としての可能性を見出され、請われるままに他に作品を書いていくうちに、作家としてデビューすることになります。そして、10年目の夏が迫り、『少女は時を翔けた』を出版することにします。問題の7月21日までに、ようやく見本誌が刷り上がり、10年前の自分がやってきた部屋で待ちますが、なんと彼女は現れませんでした。「えっ、何で?」と呟く美雪。

 ここまで、開始30分。

 最後まで観て、「こんな、わかりやすい話だっけ??」と思い、原作を読み直してみましたが、原作を結構、焼き直していることが分かりました。

●感想
 脚本が、「サマータイムマシン・ブルース」の上田誠と知って納得しました。タイムリープ物をわかりやすく、矛盾なく、面白く見せることができる人でした。
 

①ストーリーがきちんとはまる
 原作は、題名の『リライト』の通りで、「過去を書き直す」ことがメインです。そのため、美雪が10年前の自分と会えないことが、「過去が改変(リライト)されている」ことを予感させ、「何が起きているのか?」という恐怖効果が生まれています。

 一方、映画では「その時、会えなかったこと」にキチンと理由を与えたうえで、最終的に因果のループをきちんと閉じています。

 原作は、最後に唐突に話が終わり、「これからどうなるのか?」という不安が拭えませんが、映画は安心して観れました。
 

②映像が綺麗
 映像全体が、カラーを強調した作りになっていて、観ていて気持ちが良いです。不安を感じさせる展開でも、映像が美しいので、飽きずに観続けられます。


③池田エライザが美人
 これは、是非言っておきたいですが、大人役はもちろん、高校生役も違和感なく嵌っており、美人すぎます。

 相手役の「橋本愛(雨宮友恵の役)」も美人ですが、タイプが違います。池田さんは、善人側であることがわかる容貌や演じ方に徹しています。一方、橋本さんは、いかにも悪役という感じです。


④原作の意味がやっとわかった
 自分自身、原作を読んでから映画なりを観た方が楽しめるタイプです。

 ですから、ネタバレはあまり苦痛ではなく、原作を別のメディアで、もう一度楽しんでいる感じです。

 本作に関しては、原作を読んだとき、ちょっと意味がわかりませんでした。「タイムリープなのに、円環が閉じないって何で?」と思っていました。

 今回、映画を観、原作を読み直して、やっと恐怖のポイントがわかりました。同時に、面白さも。

 この作品って、「SFホラー」だったんですね。遅まきながら、やっと気づきました。

 「タイムリープ」ものが好きな人にはたまりませんが、「時をかける少女」と同じ設定を使いながら、爽やかさを恐怖に裏返すという内容なので、美しい映像ながら若干不気味さは感じます。

 

 だけど映画は、観ておく価値はありますよ。

 一文いちぶん、ゆっくりじっくり読みたい作家が、二人います。


 一人は、『図書室の魔法』や、『わたしの本当の子どもたち』の作者、「ジョー・ウォルトン」。
 そして、もう一人が本書の「高田大介」です。

 高田さんは、『図書館の魔女』(2010年)で第45回メフィスト賞を受賞。他の作品には『まほり』や、短編がある位の寡作な作家です。

 2025年には、図書館の魔女シリーズの最新刊『図書館の魔女 高い塔の童心』に加えて、本書の『記憶の対位法』という、新たな作品を出してくれました。

パチパチパチ…。


 本書の宣伝文句として、「ミステリ」となっていますが、そんな枠に収まる作品じゃありません。

●あらすじ
 2017年、フランスの新聞社「コティディアン」に勤める記者、ジャンゴ・レノールトは、周囲の人たちから軽蔑的に、「裏切り者」と呼ばれています。それは、彼の祖父マルセルが、コラボ(コラボトゥール=第二次世界大戦中、フランスでドイツに協力した人々)とされ、売国奴として国を追われており、そのことがジャンゴにも及んでいるためでした。

 ジャンコ自身は、人種差別や偏見に対して敏感です。加えて正義感が強いので、差別を匂わすような記事の文言に対しても、しばしば上司と衝突する熱血漢です。
 

 ある日、食料品店の襲撃事件が起きます。当時のフランスの世情では、「襲撃=テロ」に結び付けがちな風潮がありました。事件に居合わせた女子学生のゾエ・ブノワから、目撃情報を詳細に聞き出した結果、事件が「テロではない」と判断したジャンゴは、何でもかんでも事件を「テロ」に結び付ける大衆に、心中反発し、また記事の表現の仕方について、またも上司とぶつかるのでした。


 ある日ジャンゴは、祖父マルセルの遺品整理のため、祖父がかつて住んでいた山村を訪れます。そこで典礼文(のようなもの)が書かれた紙片を発見。先日の事件で知り合ったゾエに見せると、古典を専攻していた彼女は、何らかの重要な資料ではないかと言います。ゾエが自分の大学の教授に見せたところ、歴史資料として「文化財級のもの」と言われます。どうやら、亡き祖父が集めていたものは、中世の楽譜(の元型にあたるもの)だったとのこと。

 

 なぜ祖父はそんなものを集めていたのか?

 売国奴として、国を追われたことは果たして事実だったのか?

 

 祖父の遺品を巡って、歴史の細部に触れていくにつれ、ジャンゴは混迷を深めていくのでした。

●感想
 博覧強記にして縦横無尽。

 

 次々と、歴史的な知識や知見が披露されますが、無駄なことは一切ないし、冗長でもありません。

 フランスの世界大戦での戦歴から、移民の社会的差別の状況、テロの背景と人々の偏見、中世音楽史の発展の歴史、「記憶の法」の歴史、エトセトラエトセトラ…。
 映画でよく見かける、ナチス将校と関係を持っていた女性が、丸刈りにされ、群衆に引きずられているシーンですが、考えてみれば他にも多くの、ナチへの協力者がいた筈ですよね。こうした民衆の行動が大げさでも何でもないことが、本書に描かれた「フランスの第二次大戦下の歴史」から見えてきます。

 

 ですが、これなんかはほんの一部!

 次々に歴史の知見が明らかにされていくにつれ、亡き祖父と中世の聖職者の姿が重なり、「歴史とは何か?」という大きなテーマと音楽史とのつながりが明らかになります。
 そして、最後にゾエがジャンゴに言った言葉が、読者の心にしみ込んでいきます。

 あ~、良い読書体験だった!