「戦争だけは、何があってもしてはならない」は、本当に正しいか?
「戦争だけは、何があってもしてはならない」と、日本人はよく言います。
ならば聞きたい。「戦争だけは、何があってもしてはならない」という人は、自分の身を守るための戦争すらもしてはならないというつもりでしょうか?
1904年、日本はロシアと戦争しました。当時のロシアは、超大国イギリスと海洋覇権を巡って争うほどの大国です。対して日本は、1868年に近代政府を樹立して間もない、極東アジアの小国に過ぎません。ロシアと日本の国力差は10対1といわれていました。
ロシアが求めていたのは不凍港です。1860年、ロシアは清と戦って沿海州のウラジオストクを手に入れます。しかしウラジオストクの軍港は、冬になると海面が凍るため、軍艦を出すことができません。
当時の世界は帝国主義。ロシアは不凍港を手に入れ、東アジアの植民地争奪戦に参戦することを目論んでいた。ウラジオストクはロシア語で「東方の支配者」という意味です。ロシアが日本と戦うことになることは必然でした。なぜなら、日本列島は地政的に太平洋への蓋をしているような形になっているからです。ようするに、ジャマなんです。
日本は、ロシアとの戦争を避けるため、できる限りの譲歩をします。1903年、元老伊藤博文はロシアに対して満韓交換論を提唱。満洲をロシアに譲る代わりに朝鮮を日本が獲得する、というものでした。満州の南には遼東半島があります。つまり、ロシアは不凍港を手に入れることができるわけです。
しかし、ロシアはこれを拒否します。逆に朝鮮半島の南北分割(南を日本の勢力下にし、北は中立地帯とする)を提案してくる始末です。
ロシアの考えはこうです。「満州は、巨大な軍事力に物を言わせれば黙っていても手に入る。わざわざ日本に朝鮮を与える必要はない、あわよくば朝鮮ももらってしまおう」。
日本は絶望しました。朝鮮半島をロシアに占領されたら、次に占領されるのは間違いなく日本です。亡国か戦争か、日本に残された選択肢はこの2つしかありませんでした。
今の日本には、「話し合いで解決すればいい」という人がいます。呆れて物も言えません。話し合いは軍事力の均衡によってはじめて成り立つのです。力の弱い者が、力の強い者に対して対等な話し合いができますか。こんなことは小学生でもわかります。
日本はここにきて、日露戦争の開戦を急ぎます。「どうせ戦争になるのなら、早くやらなければ」と考えたのです。
何故か。理由はロシアが建設をしていたシベリア鉄道です。シベリア鉄道とは、モスクワ~ウラジオストク間929キロを結ぶ、世界最長の鉄道です。これが完成すれば、ロシアは満州に強大な兵力を動員できるようになる。そうなれば、日本に勝ち目はありません。ロシアを叩くには、シベリア鉄道が完成する前しかありませんでした。
1904年2月6日、日本はロシアに対し最後通牒を発令。2日後の2月8日に旅順のロシア艦隊を奇襲し、朝鮮の仁川(じんせん)に兵を上陸させます。日露戦争の勃発です。
ちなみにシベリア鉄道は1901年にはほぼ完成しており、全線が開通したのは日露戦争中の1904年9月。開戦のタイミングはタッチの差でした。
そして日本は多大な犠牲を払い、日露戦争に勝利します。
戦争は避けなければならない。しかし、やるべき時にはやらなければ、国が滅びる
戦争とは何か。
日本人は今日まで、戦争について何も考えてきませんでした。
「戦争は悲惨だ」「戦争だけは、何があってもしてはならない」という感情論だけでは、戦争の本質を理解できません。確かに戦争は多大な命の犠牲や憎悪の連鎖を生みますが、それから目を背けていてはその原因も本質も何ひとつ理解できなくなってしまいます。
「戦争は悲惨だ」と叫ぶだけでは、世界の戦争はなくならないのです。このことを理解できていない日本人が、あまりに多い。
もう一度、戦争とは何かについて我々は考えるべきです。その手がかりとして、次回からある一冊の本を紹介していきます。
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