集団的自衛権(2)日本が集団的自衛権を行使できるようになることの何が問題なのか? | 「日本の問題」について、大学生のリョウが考えるブログ

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 我が国、日本は様々な問題を抱えています。領土問題、歴史問題、そして日本国憲法…などなど。どうすればこの国は独立することができるのか。このブログでは、現在大学生のリョウが日本の問題について考え、その問題についてどう対処すればいいのかを綴ります。

 前回に引き続き、最近何かと話題の日本の問題、「集団的自衛権」について解説します。



 日本が集団的自衛権を行使できるようになることの何が問題なのか?



 この集団的自衛権の行使を巡る議論で、いわゆる反対派が主張する論拠は主に以下の点です。



 ①ときの政府が憲法の解釈を変えるだけで、集団的自衛権の行使容認に鉈

  を切ってもいいのか


 ②集団的自衛権が行使できるようになると、日本が戦争できる国になる!な

  ので安倍政権の集団的自衛権の行使容認は、日本の平和を守るために 

   阻止しなければならない!



 朝日新聞や毎日新聞、及びテレビの報道番組は主に上の2つの点で集団的自衛権の行使容認に反対することが多いです(新聞やテレビのニュースをみて確認しよう!)。


 ①の意見はまだわかるとして、②の意見はけっこう扇動的ですよね。


 いわゆる②のような報道をされてしまうと、一般の人は「何か集団的自衛権って、危なそうだな」という印象を持ってしまい、そこで思考が停止してしまいます。


 しかし前回説明したように、集団的自衛権とは国際法の上で主権国家であればどこの国にも認められている権利であり、世界のほとんどの国が集団的自衛権を行使することができるので、日本だけが特殊な状況にあるのです。


 ですが、②の意見が全面的に間違っているというわけでもありません。日本が集団的自衛権を行使できるようになると、ある懸念も生まれます。それはアメリカがやれと言われた戦争に日本がNOといえるかどうかなのですが、この話はまた後でします。



 とりあえず①の意見について解説します。


 ①ときの政府が憲法の解釈を変えるだけで、集団的自衛権の行使容認に鉈 

   を切ってもいいのか


 というのが①の意見でしたが、これはつまり物事の決定を決めるプロセスのこと(これを政治といいます)に対して異議を唱えているのであって、集団的自衛権の行使の是非について意見を述べているのではないのですね(文脈通りに判断すれば)


 いや、まあ①の意見の人の本音なんとかして日本の集団的自衛権の行使容認を認めたくない=日本を普通の国にしたくないという方が多いのですが、とりあえず建前として①の意見をいいます(特に法学者の方など)。


 じゃあどうすればいいのかというと、解釈改憲ではなくて憲法改正をしろとなります。


 つまり、


 現行の日本国憲法第9条からは個別的自衛権は見出せても集団的自衛権を見出すことはできない。


                       ↓


 集団的自衛権を巡る問題は、高度に政治的な問題であるため、ときの政府による解釈改憲だけで認められるべきではない。


                       ↓


 なので集団的自衛権を認めるには、日本国憲法第9条を変え、集団的自衛権を見出すことができる条文に変えるのが妥当である。


                       ↓


             解釈改憲ではなく、憲法改正せよ!


 というロジックです。


 一見もっともらしく見えますが、憲法改正するためには衆議院と参議院で3分の2以上の賛成、国民投票で過半数の賛成が必要となります。これはどういうことかといいますと、憲法改正というのはかなりハードルが高いということです。


 そして日本のマスコミ(特に影響力が高いテレビの報道)は②のような報道をする場合が多いので、一般の人には「何か集団的自衛権って危なそうだな」となり、国民投票で否決される可能性がかなりあります。


 なので憲法改正を主張し、日本に集団的自衛権を認めさせないという目的を達成することができると考えていると思わるのです(これはあくまで僕の推測ですが)。


 何が言いたいのかといいますと、①の意見を言う人の多くは、物事の決定を決めるプロセスに反対しているようで、集団的自衛権の行使容認に反対しているわけです(ではなぜ日本の集団的自衛権の行使容認に反対しているかといいますと、日本を敗戦国のままにしておきたいという層と、集団的自衛権の行使を容認すると日本の平和がなくなると本気で考えている層がいるからなのですが…)。


 僕は集団的自衛権の行使容認派なので、①の主張に反対意見を述べるとするならば、そもそも「集団的自衛権は保有しているけれども、行使できない」と決めたのはときの政府であり(1972年に田中角栄内閣時代に出された政府資料、1981年に鈴木善幸内閣で出された政府答弁書で示されている)、行使容認をときの政府が決めることは何らおかしなことではありません。


 そして現行の憲法から集団的自衛権を導けないという意見については、その論拠はこれまでの政府見解によるものであり、”国際紛争を解決する手段としては” 武力を放棄するという但し書きで現行憲法は書かれているため、個別的自衛権が認められているのであれば集団的自衛権も認められるとする解釈は十分可能です。


 最後に、高度に政治的な判断であるから国民による審査を経るべきだという主張について反対するとすれば、高度に政治的な判断をポピュリズム(大衆主義)に頼るのは危険です。確かに現行憲法では国民主権を謳っていますが、「国民投票で決めたことが正しい」のであれば、政策は全て国民による多数決で決めればいいはずです。しかし、その政策が正しい保証はないし、第一責任をとるべき主体が存在しません。高度に政治的な判断であるからこそ、国民による信託で選ばれた人々が判断し、責任を負うべきです。


 

 とりあえず今日はここまでにします。次回は②の意見をくわしく解説しようと思います。