5 伊良部正孝
どうぞ、そちらにお座りください。遠方から取材に来ていただいて。お疲れでしょう。ここは寒い地域ですからね。
あぁ、いけないですね。気にしないでください。今日みたいな日は、いつも北添さんのことを思い出してしまうんですよ。あの日も、こんな日でしたから。
そう言えば、神塚さんはどうして北添さんのことを?会社から調べてこいと言われたとか?あぁ、そうですか。大変ですねえ。さ、これがあなたが見たいと懇願した遺書ですよ。あまり見せたくないのですがね。北添さんが生前、もしこれを見たい人がいれば是非見せてやってくれって言っていたものですから。
でも、それを見る前に少し昔話をしましょう。もちろん、北添さんに関することなんですがね。
北添さんがここにやってきたとき、私は正直、驚きました。少年法があるので、実名報道もされませんし、会うまでは顔も分かりません。けど、あんなにも綺麗な少女がやってくるとは夢にも思いませんでした。犯罪を犯す人は意外と大人しい人が多いのです。なので、彼女の性格もまた優しくて大人しいのだろうなとは思っていました。
会って話してみると、やはりそうでした。何年も罪人を見てきてますからねえ。ただ、ところどころに人を殺してしまいそうな危なっかしいところがありましたが。でも、模範囚でしたし、刑が執行されるまで一度も暴れたりしませんでした。それどころか、なにかをして気を紛らわせたいと言っていたので、私は北添さんに絵を描かせました。画材を貰うと、北添さんは亡くなる直前までずっと描いていました。総数は確か十何枚くらいじゃないでしょうか。確定から執行まで八か月という短い期間でしたからね。描きかけのキャンバスもまだ残っています。なんせ、彼女の描く絵は美しかったですから。殺人を犯した人間の描く絵が高値で取引されることもあるくらいです。ほら、海外ならジョン・ゲイシーの絵がセレブ達の手に渡っているそうですよ。まあ、私は北添さんの絵を売り飛ばしたりはしませんけど。
折角なので見てやってください。ほら、そこにあるでしょう。そう、それらです。懐かしいですね。独房の中で一心に描いていた姿が昨日のことのようです。これは、クッキーですね。こっちはマカロン。これは、シフォンケーキ。北添さんは、いつもお菓子の絵を描いていました。
死刑囚の描く絵と言うと不気味なものを思い浮かべますが、北添さんはそういうものは一切描きませんでした。描いていたのは、最愛の恋人にあげるお菓子だったのです。生前、北添さんはこんなことを言っていました。
「早く、天国に行って彗くんに会いたい」
とても純粋な気持ちで言ったのだと思います。早く殺してくれ、と懇願したわけではなく、ただ純真な今の思いを吐露したのでしょう。いつ殺されるか分からない。そんな究極な状態でも、北添さんは伊尾木くんのことを思っていました。今、再会できていることを祈るばかりです。
そんな思いが通じたのか幸か不幸か彼女は実に短い間に執行が決まってしまいました。日本では、健康的でかつ身寄りのないものを先に死刑にしていくのです。身寄りがなければ、悲しむ相手もいないので楽に殺すことができます。本当に嫌な現実です。
私は執行が決まったという報告を受け、すぐに彼女に手紙を渡しました。ダメなんですよ、こんなこと。でも、彼女に執行が決まったということは言わずに、今まで誰にも言えなかったことを全て吐き出して、とだけ言い手紙とボールペンを渡しました。でも、きっと気づいていたのでしょうね。しかし、こうでもしないと北添さんは一生、あの日なにがあったかを話さないまま死んでいってしまいます。それだけはなんとかして避けたかったのです。なので、規定を少し外れてもいいから北添さんに書かせました。
その手紙は、執行後、彼女の部屋から発見されました。宛名もない、綺麗に折り畳まれた手紙でした。けれど、中を開いてみると物凄い量の文章が綴られていました。そこには、今まで知ることのできなかった事件当日の彼女の思いや彼への愛が事細かに知ることができました。それを見ながら、私は泣いてしまいました。
執行の時、彼女に執行日だと言って部屋から連れ出したのは私です。彼女の首に縄をかけたのも私です。落ちていく彼女を見たのも私です。本当に耐えきれない思いが胸に迫りました。冷たくなってしまった北添さんを見ながら、私は言葉が出ませんでした。今まで何回もこんな経験をしてきたというのに。なぜだか、辛くて堪りませんでした。
それに、彼女は最後に
「彗くんがお迎えに来てくれたんだ」
そう言って笑いました。死の直前に笑う人はそうそういません。でも、確かに彼女は微笑みました。きっと彼女には伊尾木くんが見えたのでしょうね。
すみません、ちょっと涙が出てきてしまったので退室しますね。それ、読んで待っていてください。
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