4 北添真広
近々、私の刑が執行されます。きっと、そうなってしかるべきなのでしょう。怖さはありません。なぜなら、私はもう彼を殺した身ですから。彼の元へ行けると思えば怖くなんてありません。
けれど、やはり、心残りというものはあります。伊良部さんが言ってくれた通り、私にはまだ話していないことがあるから。
あの日はとても寒い日でした。帰り道、私と彗くんは手を重ねて歩きました。自分の冷たかった手が彼の温もりで暖かくなっていくのが嬉しくて、私は一層強く手を握りました。すると、彗くんも握る強さを強くしてくれて握り返してくれました。それだけで私の胸は躍りました。
「ねえ、真広」
ふいに彗くんがいいだしました。
「僕、死ぬかもしれないんだって」
「え?」
その発言はとても衝撃的で私は動かしていた両脚をぴたりと止めました。
「どういうこと?」
見上げた先に見えた彗くんの顔は今でもずっと忘れません。悲壮感の漂う憂いな笑顔を浮かべていました。
「死ぬんだ。体が弱りすぎちゃったみたい」
私は言いようのない不安感に襲われました。自分が望んで与えていた毒によって最愛の人がいなくなってしまうかもしれない。絶望的な気持ちになりました。
「ごめ…、なさいっ」
「なんで真広が泣くの」
「だって、わたしっ」
泣き出す私に彗くんは困惑したような顔をしました。
「泣かないで。ねえ、僕たちは一緒でしょ?僕が死んでも真広と僕は永遠だから」
そんなことを言われても、現実に彼がいなくなってしまってはどうしようもありません。彼から与えられる温もりも、言葉も、全てが無くなってしまう。そんな事態に私は耐えることができるのでしょうか?いや、耐えられない。きっと、私は耐えることができない。
「いや!彗くん、死なないで!」
縋るように彼に抱きつきました。しかし、その時知ってしまったのです。彼の体がとても細いということに。怖くなって離れると、彗くんは、ほらねと言って笑いました。
「僕は死ぬんだ」
彗くんは嘘を吐いたことがありません。なので、その時もこれはきっと真実なのだと思いました。嘘だと信じたいけれど、どうしようもない真実なのです。
しかし、続けて彗くんは言いました。
「真広、僕を殺してくれないかな」
「え?」
「死ぬのなら真広に殺されたい。僕はそう思って生きてきたんだ。医者に宣告されたときも僕は病気なんかじゃなく君の手で天国へ行かせてほしいと思った」
彗くんの提案はそう簡単に頷けるものではありませんでした。いくら愛しているからと言って殺す気にはなれません。けれど、こんな風に彼が弱ってしまったのは全て自分のせい。自分が毒を盛ってさえいなければ彼が死ぬことなどなかった。そう考えだすと、私は殺さなければいけないと強く思い始めたのです。自分の手で彼を天国へ連れて行こう。そう確信しました。
「分かった。彗くん、私が天国へ連れて行ってあげる」
私がそう言うと、彗くんは嬉しそうに微笑みました。
「ありがとう、真広ならそう言ってくれると思った」
瞼にキスが降ってきました。こうやっていられるのもあと少しだけ。そう思うと私は彼からのキスをいつも以上に愛おしく感じました。
その後、私達は歩きながら計画を練りました。どのような方法で、どこで、殺した後はどうすればよいかなど。さまざまな事を話しました。
「そうだ。出来たらでいいんだけど九百九十九本のバラを僕の下に敷いて欲しいんだけど、いいかな?」
「バラを?そんなに多く?どうして」
「ほら、お葬式とかでよく祭壇にお花が飾られてるだろう。それの代わりみたいな感じでさ。それに、九百九十九本って何の意味か分かる?」
「ううん」
私がそう答えると、彗くんは嬉しそうに言いました。
「〝何回生まれ変わってもあなたを愛す〟っていう意味だよ」
嬉しくなりました。生まれ変わっても彼が自分のことを愛してくれるのだと知れたのです。こんなに嬉しいことはありません。私は喜んでその提案を受けました。そして、沢山のお店を回ってバラを買い集めて、人通りの少ない裏路地に敷き詰めました。真っ白く染まっていく道路が異質で少し気味悪かったです。
「じゃあ、いいよ、殺して」
彗くんはその上に寝転がり、服を脱ぎました。制服だと刃が貫通しないと考えたからです。
「……いくよ」
そう言ってナイフを振り下ろそうとしました。けれど、私はその胸を貫くことができませんでした。怖かったのです。最後の最後になって私は彼を殺すことに躊躇いました。
「ごめ、ん。ごめんなさい。殺せないよ…、怖いっ」
私の泣き言に彼は困ったように首を傾げました。
「なに言ってるの。大丈夫、すぐ終わるから」
「でも…」
「じゃあ、刺す前に体に傷をつけてみたら?そうしたら、怖くなくなるかも」
私は言われた通りに彼の体に傷を付けました。最初は本当にかすり傷程度でなにも感じませんでした。けれど、何回か傷をつけていくうちに感覚がマヒしていき、私は傷がつく喜びに目覚めました。
自分の手で彼を苦しめていた時と同じ快感を思い出したのです。自分のもののようになっていく。それがたまらなく嬉しくて幸せでした。けれど、それとは対照的に彗くんの息はだんだんと荒くなっていきました。血も体から流れ出し、敷き詰められたバラの花々に降り注がれていきます。その内、雨も降りだしました。
「彗くん、愛してる」
「僕も、だよ…アイシテル」
私は彼の体の上に乗っかり、雨の降る中、彼にキスをしました。雨の味と血の香りのするキスはとても興奮しました。
「真広、殺して」
虚ろな瞳が私を捉えました。ぜえぜえという息を繰り返す彼はもうすぐにでも死にそうです。私は頷き、両腕に力を込めました。そして、微笑みながらナイフを振り下ろしました。
その瞬間、聞いたこともないような音を出しながらナイフが彗くんの胸に吸い込まれていきました。そして、ちろちろと胸から血が流れでてきました。
カッと見開かれた彼の両眼。今までにないくらい美しくて吸い込まれそうになりました。
「ま、ひろ…、まひっ」
彼は何度も何度も私の名を呼びました。
しかし、次第にその口は動かなくなっていき、数分後にはもう一ミリも動かなくなりました。
もう二度と愛を呟かれることはない。そう思うと再び不安感が胸を襲いました。殺し終わったらすぐにこの場を立ち去って警察へ行け、と彼に言われていたので本当はその時点で立ち去らねばならなかったのです。しかし、私はその場を立ち去ることができませんでした。彼の姿をもっと眺めていたいと思ってしまったのです。けれど、そんなことしていては彼との約束を破ることになってしまう。そこで、私は彼のために作ってきたクッキーを彼への冥途の土産にしようと思い、彼の口の中へ入れました。これで、向こうでもクッキーが食べられる。そう思うと自然と笑みが零れました。何枚入れたかは覚えていません。ただ、沢山のクッキーを彼に渡しました。
そして、その後、私は警察へ出頭し、今日この日を迎えました。
彼を殺し、死刑となった今でも、彼を殺したことを後悔してはいません。世間の人々は私のことを非人道的で狂人だと罵ります。けれど、私はそれでも構いません。世界中の暴言非道がもしも私に向けられたとしても私は彗くんを信じています。
私は彼を今も愛しています。
ずっと、愛してる。